俺は例の豹が狩られたという報を待ちながら、目をギラギラさせたままの我らがフリッツと〝剛毅〟ことウーリ、そしてそのお供の大モルトケと共に戦勝記念塔から街を眺めていた。
今頃ベルリンのウンター・デン・リンデンでは、ジギとその配下達が、王宮から逃げ出した豹を狩るのに勤しんでいるはずだった。遠くから小さく、ライフルが火を吹く音が聞こえる。しかし、その割には一昔前に生まれた古びたトランシーバーからはガーゴーという雑音しか聞こえなかった。
小さく息を吐いて、横目で同伴の人間達を見遣る。
いつも通りの黒装束とコートの俺以外は皆、戦闘向きの軍服に身を包んでいた。
フリッツは歴史の教科書でも有名な胸甲騎兵の格好をして、元帥杖を携え、折畳式の椅子に腰掛けている。若干、古びた写真の像と違和感を感じるのは、さっきからエフェメラ能を使っているせいで目がほぼ開きっぱなしになってしまい、目付きが悪くなっているせいだろう。
〝剛毅〟のお供をして来ている大モルトケもやはり、歴史の教科書でおなじみ、ズボンにカーマインレッドの線の走ったあの参謀の制服だ。今は半分目を閉じて静かにパイプでタバコを燻らしているが、写真や肖像画よりもかなり若めの姿形をしているせいで、制服に着られているような気もする。
〝剛毅〟ことウーリは、何の事はない、ヴィリーが愛娘の名誉連隊長に着せていたような軍服を彷彿とさせる姿だ。だがさすが、軍人の家系の出なだけあって制服に着られている様子は無い。ただ、その名誉連隊長と違って、ウーリは先程から腕時計を見たり、腰にベルトで着けた無線機のダイヤルを無意味に回してみたりと忙しなかった。落ち着けばもっと威厳が出るのに、残念だと俺は思う。
かく言う俺も、ジギからの連絡の無さに退屈を感じ始めていた。
「フリッツ、平気か?」
俺は目を潤ませはじめたフリッツに、ズボンのポケットから取り出した市販の点眼薬をちらつかせながら訊ねた。
「目薬さすか?」
「まだまだ……!」
フリッツが眉間に皺を寄せながら言う。説得力が無い。「嘘吐けえ」という言葉が反射的に漏れた。そっぽを向いて呟いたはずだが、耳聡いウーリは聞きつけてしまったらしい。彼女がぎ、とこちらを睨めつける。俺は両手を挙げて肩を竦めた。ウーリは嫌悪感の滲む表情のままで顔を逸らす。
「ルド――やっぱり貴方は無礼だわ」
「知ってる」
「陛下が良くして下さっていることにもっと感謝して態度で表すべきよ」
「存じ上げてる」
「ルド――!」
ウーリのブーツのヒールがカッと言う硬い音を立てた。杖を握りしめて、今にも殴りかかりそうな顔でこっちを見ている。が、その前をフリッツが遮るように立った。
「ルド」
フリッツは眉間を摘んでいた。続けて言う。
「やはり目薬をくれ給え。さすがに辛くなってきた」
その時、フリッツに加勢するかのようにトランシーバーが呼び出し音を叫んだ。大モルトケが控えめにウーリの肩を叩く。ウーリは口を尖らせたまま、渋々、トランシーバーのスイッチを入れた。俺は耳をそばだてる。
「こちら『ポツダムの〝剛毅〟』、どうぞ」
砂嵐の様なノイズを挟んで、通信相手のジギからの返事が聞こえた。
――こちら『ベルリンの〝女教皇〟』。戦況報告をしたいと思うわ。どうぞ。
今日は何故かずっと、女を誘惑出来そうな低い声のようだ。聞いているウーリは魅惑的な異性にでも逢ったような表情になる。自分の口調を真似されていることは良いのだろうか。ウーリがすぐに返答する。
「その報を待ち望んでいました。どうぞ」
――アー……お嬢には悪いのだけれど、別に待ち望んでいるような報告は出来ないのだから期待はしないでね?
それを聞いて、ウーリは表情を濁らせた。そんなことなど露も知らぬ『ベルリンの〝女教皇〟』ジギは続ける。
――まず戦況だけど、包囲網は確実に狭まりつつあるけど、芳しくはないわ。先程もビスマルク親子が目標に間合いに入られてね、揃って戦闘不能になってしまったのよ。フンボルトもビューローが助けに入らなかったら同じ憂き目に遭ってたくらいだわ。
「かなり酷いわね」
ウーリが言った。その脇では大モルトケが退屈そうに紫煙を吐き出している。俺もそれに続いて溜息を吐く。
「やっぱり生け捕りは不得手だな、うちは」
「一撃必殺の専門家が多いのよ。鉄血宰相だって普段なら優秀な狙撃手だけど、今回だって即死攻撃にならないように相手の名前を呼べなかったでしょう?」
「息子もな。能力自体が使えないのは難しいだろ」
ジギが話を再開する。
――それに、もうそろそろ皆の能力発動限界が迫ってる。ボイエン元帥とグロルマン大将もかなり消耗している様子よ。それに、先程もビッテンフェルト将軍の姿が消えかかったのよね……陛下は大丈夫?
「すまないな」
そう言ったのはフリッツだ。眉間を摘んで丸を描きながら彼は言う。
「今点眼していたところだ」
――……左様でしたか。
そう言って、ジギは通信を切った。確実に呆れた声色だった。フリッツの様子がだんだん『考える人』に見えてきた。
それを見たウーリは、先程からパイプでタバコを嗜んでいる大モルトケに向き直った。大モルトケのほうも、タバコが尽きたらしい。二人は向い合って立つ。
「ベニィ」
ベニィとはウーリが付けた大モルトケのニックネームだ。
「もはや私が出る他無いようです」
「そのようだ」
大モルトケが初めて口を開いた。
「ならば僕も振るわれる他無いのだろうね」
「ええ。頼めますか?」
大モルトケは肩を竦める。
「是非も無いだろう」
「ありがとうございます」
この様子からすると、どうやらウーリは自分の得意技を使う気らしい。大モルトケはパイプを仕舞うと、静かに姿勢を正す。
ただ、俺には一つ心配事があった。
「〝剛毅〟」
俺はウーリに訊ねる。冷えきった表情のウーリが応える。
「何、〝運命の輪〟」
「お前、射撃出来るのか?」
彼女は溜息を着いて答えた。
「前よりは上達したわよ」
しかし自信無さげに、こうとも付け加える。
「……成績は上の中くらいだけど」
ウーリの踵がカツと鳴る。〝剛毅〟は大モルトケの背中に向かって立った。大モルトケは半ば諦めたように、手を背のほうで組んで目を閉じて立っている。
もう一度爪先が鳴り、空気がピンと張り詰めた。
魔法が始まるのだ。
俺とフリッツが彼女らから数歩離れたところで、固唾を呑んで見守る中、〝剛毅〟が右手を彼の背に向けて差し伸べた。満足に息の出来ない空気を、目を閉じた〝剛毅〟が美しい声で震わせる。
「――我は〝剛毅〟。
――我は二十一と一から成る円卓の十一番目に座す者。
――我は地母神、獅子を捕らえる〝剛毅〟」
す、と彼女はその眼を薄く開ける。一方、彼女の前に立って背中を差し出している彼は、時の止まったように身動きするのを止めていた。彼女――〝剛毅〟の詠唱は続く。
「――我は定義する……
――身体は鞘であると。
――心は刃であると。
――此れ即ち人間とは剣であると」
〝剛毅〟の手が彼の背中をなぞるように滑る。彼女の瞼が日の出のように持ち上がっていく。
「――我は我のナとナとナに於いて、汝のナとナとナを振るう者。
――故に我、我のナとナとナの運命を以って、汝のナを」
彼女の見開かれた目から光を見た、その瞬間だった。
「――顕さん!」
〝剛毅〟は差し出した右手を、銃弾を放つように潔く、大モルトケの背中に突き入れた。手刀はあっさりと、骨肉の固さなどもろともせず、彼の身体を背中を通って鳩尾へと突き抜ける。俺ははっきりと、彼の胸から血の吹き出すのを見た。
「あ――ッ?!」
フリッツが、目の痛むのも構わず、目を丸くして短く悲鳴を上げた。胸をぶち抜かれた当の本人も、瞼は閉じてはいるものの、手刀の衝撃で口を小さく開いている。
しかし魔法は終わらない。〝剛毅〟は大モルトケの胸を貫いた手刀を、何かを掴んだように拳の形にして引っ込めた。
――妙なことが起きた。そう、俺にしてみれば往々にして見る出来事だが、隣にいるフリッツなら未だ見慣れないことが起きたのだ。
〝剛毅〟の引っ込める拳に引かれるように、彼の胸から吹き出した血液が、宝石のような輝きを以って彼女の右手に集まりだした。――エフェメラだ。大モルトケを構成するエフェメラが、彼女の魔法で以って別の形を成そうとしている。
――嘗て、大モルトケことヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケは、普墺戦争の一大決戦――ケーニヒグレーツ会戦にて、陸軍元帥ベネディクの指揮するオーストリア軍に大勝を収めた。プロイセン国王ヴィルヘルム一世の委任を受けた彼の率いるプロイセン軍が何故勝てたか? 歴史学者は様々な要因を挙げるが、その要因の一つにプロイセン軍の用いた武器がある。旧式の前装式ライフルを使用するオーストリア軍に対して、プロイセン軍はそれを以って対抗したが故に打ち勝ち、歴史をも変えた。
〝剛毅〟は拳を緩く開くと、その歴史を変えた武器の形を成しつつある大モルトケの姿をしていたはずのエフェメラの塊を握りしめる。
「――ドライゼ銃」
その名前を呼んだ時、大モルトケの姿は影も形も無くなり、代わりにウーリの腕の中に古めかしい形の短銃が収まっていた。
「――歴史を変え、世界を変えた、プロイセン軍のツンドナーデルゲベーア……!」