黒山羊塔

栄光のtimen Sie Null 〈4〉前編

 ベルサイユ宮殿のきらびやかな雰囲気は、そこで行われている会議で交わされている重苦しい意見や主張の前に押し殺されていた。あまりに互いの意に反する交渉内容に、役人たちは紫煙とともに溜息を吐き出す。

「――まず、南ドイツ諸国が求める、統一ドイツでの特権や留保権」

プロイセン首相ビスマルクが、感情など微塵も含まない声で言う。これにバイエルンを始めとする南ドイツの諸侯は注目した。ビスマルクはそれに意を介さず続ける。

「これは認めましょう。特にバイエルン王国には――」

この言葉に、バイエルン国王の代理として出席していた王弟・オットーは身を乗り出した。

「バイエルン軍及びバイエルン王国独自の外交使節を持つことを了承します」

これに王弟は安堵した様子で、再び着席する。

 その一方で、北ドイツ連邦議会の議員や、ビスマルクの後ろでそれを聞いていたプロイセン国王ヴィルヘルム一世は苦々しそうな表情を浮かべていた。

「それと、別件でもう一つ」

国王の機嫌を知らぬであろうビスマルクは更にこう告げる。

「統一ドイツ連邦の名前。これを“ドイツ帝国”と名付け、国家主席に当たる役職を“ドイツ帝国皇帝”としたいのですが、如何か?」

この意見に、会議場は歓喜に湧いた。賛成の言葉を投げる者も居る一方で、国王は苛立ちを隠せなかった。

「ビスマルクめ」

彼は怨嗟を吐いた。

「フランスへの憎悪だけの為に集まった諸邦から出来た醜い息子に、“ドイツ帝国”などという、なんとも由緒正しき名を与えてしまうとは。恐るべき天才めが!」


   *


 「じゃあ神聖ローマ、永遠に。アデュー」

俺はその時、「やっとこの呪縛から開放される」と、ご機嫌そうにそう言って、ギロチンの鎌のように剣を振り下ろした――。

 否、“振り下ろそうとした”。

 剣を振り下ろし、切っ先が神聖ローマの細い首元を切り裂く寸前までいって――いっていたのに、俺はそこで手を止めてしまったのだ。

「――え」

神聖ローマは既に自分は殺されたものだと思って気絶していた。俺だってそこで確実に殺してしまうつもりだった。けど、その時、神聖ローマの瞼の閉じられた目から、涙が一筋零れるのを見てしまった。

「え、え?」

俺はそれに驚いて、神聖ローマから飛び退いて――震える手元から剣を取り落とした。からんからんと、金属が床に打ち付けられる乾いた音が部屋に響く。その音で、やっと自分が神聖ローマを仕留め損なったことに気づいた。

「何で、なんで?」

もう、自分が神聖ローマを仕留め損なったことに苛立っているせいなのか、それとも神聖ローマが涙を零したことに驚いているのか分からなかった。混乱してしまって、息がだいぶ荒れている。

 とりあえず、深呼吸して息を整える。そして、結局殺せなかった神聖ローマをどうするか考えなければ。

「……違う、こいつは神聖ローマ『だったもの』だ」

とにかく、名実ともに神聖ローマというものはなくなった。今ここにいるのは、俺と神聖ローマ『だったもの』――つまりは何者でもない空っぽの器――だと考えを切り替える。切り替えて、そこで思い出したのは“あのお方”がやっていることだ。

「そうだ、“ライン同盟”」

 ライン同盟というのは、神聖ローマの代わりに“あのお方”がお作りになろうとしている国家連合だ。オーストリアやプロイセンなどのドイツ諸国ではなく、俺が――フランスが主導権を持つ、つまりは俺のための従属国だ。

 「確か、あそこは未だ誰もいなかったはずだ――よし」

そうとなれば話は決まりだ。こいつを“ライン同盟”にしてしまおう。こいつは元・神聖ローマ、ドイツの奴らも文句一つ出せないだろう。何より――

「この空っぽの容れ物に、何が出来るんだってんだ」


   *


 「――って、思ってたらコレだ」

と、砲撃を絶え間なく受け続ける我が心臓を自嘲気味に指さして、俺――フランスは隣に座る新しい友人に笑いかける。友人は双眼鏡を覗いて、既にボロボロのパリと、遥か彼方のプロイセン軍を見比べているようだった。俺は構わず続ける。

「結局のところ、俺は自分で自分の墓穴を掘っちゃったわけさ」

そう言う間に、砲弾の撃ち込まれる音が聞こえた。友人は小難しいといった顔をして、「はぁ」と首を傾ける。

「それは相手を、善意でなく悪意から助けたからでは?」

「いや、違うね」

俺は友人の考えを否定して、

「相手は、俺が悪意であれ善意であれ助けたからには必ずやり返しただろう。直接間接問わず」

「そういうものですか、欧州とは」

「欧州もそうだし、世界中、どこでもだよ、大日本帝国」

俺が友人の名前を呼ぶと、友人はこっ恥ずかしげに「日本で結構です」と返す。それに俺は呆れて、

「それだからナメられるんだよ」

と言い放った。日本は驚いた様子だ。

「ええっ?!」

「だーかーらー……はぁ」

 この新しい友人は極東の島国の国の化身だ。そんな彼が何故ここにいるかと言えば、今回の戦争に観戦武官として参加している自国の軍人に付いて勉強に来たがためだ。しかし、それを彼は「そんな偉いものではないのです。単に皆が私を何かにつけて外に出したいだけなのです、社会復帰とか言って」と苦笑する。

 「けど、これで戦争も変わるかな」

「えっ、そうなのですか?」

俺の呟きに、日本はきょとんとする。――驚く場面が多いのは、ずっと引きこもっていたせいなのだろうか。俺は、これもこの友人の社会復帰の手伝いだと思って説明する。

「一つは、軍事方針の中心になる軍事理論の転換かな。今まで我がフランス軍は、ずっととあるスイス軍人の立てた理論を元に方針を決めていたんだけど、プロイセン軍にはそれが通じなかった。……つまり、相手は俺達の知らない理論で動いている可能性があるね」

「成る程」

そう言いながら、日本は背を少し丸めてノートを取っている。勉強熱心だなあ。俺は先生気分になりながら続けた。

「二つ目は、――そう、国家元首である皇帝が退位した後も、この前まで要塞軍が抵抗していたし、今ではパリで国民が、勝手に自分達で政府を作って戦ってる。こんなの今まで考えられなかったことだ」

「国民が直接戦うということがですか?」

「そう、昔は国家の正規軍同士の戦いだけだったんだけどね――嫌だねえ、戦争は王様のチェスだったのに」

そう面白おかしく言うと、日本が納得いかなさそうな表情をした。貴方が言いますか、とでも言いたいのだろう。

「ほんと、顔だけでなくて口でもモノを言えれば良いのになー、日本は」

俺は笑う。すると、今度は本当に分からなかったらしく、戸惑いながら、

「え、何がです」

と言う。俺は微笑んで、

「だから、日本も方針転換するんだろ? 今回負けちゃったし」

この言葉に、日本は目を丸くした。そして、観念したといったような、脱力したような顔をして、「フランスさんには敵いませんね」と呟いて、

「貴方の仰るとおり、我が国の政府は今回の戦争の結果を受け、軍隊の手本をフランスからプロイセンに変更することを決定しました」

申し訳ございません、と付け加えて、彼は頭を下げる。このポーズにどう反応すれば良いか、毎度悩むのは俺だけなのかな……? 俺は苦笑して言う。

「何謝ってるの?! 別に謝らなくて良いし、日本は正しい。“勝てば正義”って言うし」

「“勝てば正義”?」

「ああ、海向こうの坊ちゃんの家の諺だよ」

「? ――それは、“勝てば官軍”みたいなものでしょうか?」

「分からないけど、合ってると思うよ」

また、遠くから砲弾が飛んでくる音がした。その音が合図だったかのように、日本は立ち上がり、踵を返す。

「それでは、今まで有難う御座いました。またの機会に」

「――じゃあ、最後に世界に漕ぎ出す大日本帝国のために、もう一つだけ」

俺も立ち上がって、目をぱちくりさせる友人に言った。

「“油断なく、気をつけて”ね」

「は――えっと――」

「これは諺じゃないから、覚えなくていいよ」


   *


 『今日からお前も“王国”だ、喜べプロイセン!』

 『プロイセン、お前を必ずや、大国の地位につけてやろう!』

 『貴方を救うために、貴方を踏み台にします……プロイセン殿?』

 『ギルベルト――いや、プロイセンよ。前を向き、そして進んでくれ。お前はお前なのだから』

 『未だ生きてたの、プロイセン』

 『貴方、変わってますよね、プロイセン殿』

 『――プロイセン』

 『――プロイセン!』



 「――プロイセン!」

怒鳴るような声で目が覚めた。目をぐるりと動かして目線を上に向けると、髪と、ついでに気の短い男がこちらを見下ろしていた。

「さっさと起きろ、プロイセン。会議、おおかた終了しちまったぞ?」

その男の言葉に、寝ぼけ眼でしゃがんだ姿勢からマントにくるまったまま立ち上がろうとした、その瞬間、俺――プロイセンは勢い良く、机の端に頭をぶつけた。ガン、といういい音がし、起こしに来た男が吹いたのが聞こえた。

「今ので目ェ覚めたか?」

「うるせえぞ、バイエルン」

遠慮無く大笑いしながら言う男――ドイツ諸邦の一人、バイエルンだ――に、俺は言い返す。バイエルンは「わりい、わりい」とか言いながらも、未だ腹を抱えて笑いを堪えていた。――こいつは昔から何かとむかつくので困る。

「てゆーか、何だよその体勢は。ちゃんと寝床で寝たらどうなの?」

バイエルンに指摘されて、やっと自分の睡眠時の体勢が一般的でないことに気付く。

 俺は、今までマントに蓑虫のようにくるまったまま、机の柱に跪くように体重を預けて眠っていたのだ。当然、額には縦に柱の痕がつくのだが。

 ムカつくけれど、これは説明せざるを得ない。

「昔――解放戦争の頃か。俺のところの参謀総長が忙しい時にやってた睡眠方法だな。最近も会議ばっかで忙しいだろ? それで思い出してよ。座って寝るより楽だってんで真似したらハマって、つい」

「……馬鹿なの?」

……一言多いな、こいつ。

 思っていたら、バイエルンは急に用事を思い出したように笑顔を引っ込めた。

「とりあえず、さっさと準備しろよ。オーストリアさんから、お前に電話が来てるってよ」


   *


 『おはようございます、プロイセン。朝からすみません』

だいぶ久しぶりに聞いたオーストリアの声は、電話越しながら、随分と澄み切って聞こえた。それに呆気にとられながら、俺は返事をする。

「よう坊っちゃん。元気にしてたか?」

『ええ、だいぶ。そちらもお変わりないようで何よりです』

「おうよ、傷一つしてないぜ! ――んで、どうしたんだ、何かあったか?」

俺は坊っちゃんに、電話をかけてきた理由を訊ねた。滅多に電話などかけて来ない坊っちゃんのことである、何かあったに相違ないのだが。オーストリアは答えて、

『それがですね……と、落ち着いて聞きなさいプロイセン』

さっきまでの挨拶口調から打って変わって、オーストリアは冷静に話し始めた。

『ルートヴィヒが、屋敷から出て行きました』

「何だと?!」

唐突なその知らせに、オーストリアに「落ち着きなさい」と言われたにも関わらず、俺は叫んでいた。俺はハッとして、背後に控えていたバイエルンのほうを見た――奴も俺の絶叫に、何事かと眉間にしわを寄せてこちらを見ている。俺は務めてバイエルンに会話が聞こえぬよう小声で訊き返した。

「……それは本当なのか?」

『ええ。一昨日の晩まではいたのですが、察するところ、貴方が戦争から戻って来ないのにしびれを切らしたのでしょう。昨日エリザベータが彼の部屋を見に行った時には、既にもぬけの殻でしたよ』

オーストリアはこちらの状況を知ってか知らずか、かなり冷静に応答してくる。俺は無性に腹が立って、不意に

「待ってろって、言ったのに」

と呟いていた。当然、それを聞いているオーストリアは、それが自分に向けられた言葉だと勘違いしたのか

『貴方だって、連絡の一つも差し上げなかったではないですか、このお馬鹿さんが』

そう言い返して来た。――ぐうの音も出ない。オーストリアは小さく溜息をついてから、

『彼に預けていたプロイセン軍服も、一緒になくなっていますから、おそらくはそちらに向かったと思われます。とにかく彼を信じなさい。彼も子供ではないのですから』

そう言って、坊っちゃんは電話を切った。


   *


 「――本当に大丈夫でしょうか」

プロイセンへの電話を終えると、側で今までの電話を聞いていたエリザベータが口を開いた。私が答えずにいると、エリザベータはこちらをじっと見て、

「あの、失礼ですが。ローデリヒさんはルッツを見送ったんですよね?」

そんなことを訊いてきた。

「――どうしてそう思うのです?」

私――ローデリヒという――は訊き返す。

「だって、プロイセン軍の軍服が仕舞ってあったのは、“ローデリヒさんの”衣装部屋です。ルッツが勝手に出て行かないようにローデリヒさんが預かってたのに、ルッツは軍服ごと出て行った。それって、ローデリヒさんが軍服をルッツに手渡した上でないと無理で、つまり……」

ここまで言って、彼女は顔を赤らめて言い淀んだ。そして、

「……出しゃばったことを言ってすみません……」

もごもごと謝った。私は思わず笑みをこぼして、

「謝らないでください、その通りですから」

その言葉に、エリザベータも微笑んだ。

 「あの、出しゃばりついでにもう一つ訊きたいことがあるのですが……」

エリザベータが、急に畏まって言う。

「何ですか?」

「今更ですけれど……何で、今回フランスに味方しなかったのかなって……」

私はその質問に、思わず顔をしかめた。エリザベータが途端に不安そうな顔になる。

「ごめんなさい、つい――」

「いいえ、大丈夫です」

エリザベータが再び謝ろうとするのを遮って、私は質問に答えた。

「――フランスは以前、メキシコ出兵の際、ハプスブルク家の者をメキシコ皇帝の座に就けたことがあります」

もう五年も前のことですが、と私は付け加えて、更に続ける。

「結局、プロイセンが勢い付いてきたのもあって、フランス側が撤退してしまったのは、貴方もご存知の通りです――が、メキシコ皇帝であるマクシミリアンは、それを了承しなかった。マクシミリアンの側は単独で抗戦し続け、……二ヶ月後にゲリラ側に逮捕され、呆気無く銃殺されてしまいました」

私は喜劇を語るかのように話しているものの、それを聞くエリザベータは、まるで悲劇を聞いているようだった。

「マクシミリアンが大人しくフランス軍とともに撤退すれば良かったのですが、我が皇帝をはじめ、王家の方々や国民たちには、フランス側の行動は良いものに映りませんでした。――そういった訳で、今回は傍観者の側に回らせていただいたのです」

「だからあの時プロイセンは、オーストリアさんが『フランス側に回るわけが無い』って言ってたんですね。オーストリアさんもフランスを快く思っていないから!」

「そうですね」

エリザベータの言葉を首肯して、私は更に

「単純に、『統一ドイツとの同盟を無下にする訳にもいかない』という考えもありましたが」

とも言った。

 「さて、この屋敷も寂しくなりますね」

私が呟くと、エリザベータが肩を寄せて来た。

「私が居ますから。私がオーストリアさんをお守りしますから、大丈夫です!」

笑ってそう言う彼女に、

「そうですか」

私も微笑んでそう返した。

「お礼に『美しく青きドナウ』でも弾いて差し上げましょうか」


   *


 「おい。ルートヴィヒが行方不明って、本当なのか?」

「でかい声で言うなよ」

電話を切って早々にそう質問してきたバイエルンに、人差し指を口に当てるポーズを取ってから、俺――プロイセンは回答する。

「――ああ。一昨日までオーストリアの屋敷に居たらしいが、昨日の朝になって軍服ごと消えていたらしい。こちらに『向かったと思われ』るって、あの腐れ坊っちゃんは言ってるけどよ」

 「オーストリアさんを『腐れ坊っちゃん』って言うのやめろよ豚野郎」

「誰が豚野郎だ金満野郎」

バイエルンの暴言に暴言を返していた。――ふとバイエルンの背後を見ると、大の男で人集りが出来ている。振り向くと、俺の後ろも同じようなことになっていた。――やばい。

「……おい」

俺はバイエルンを突いてそれに気付かせてやった。俺は咳払いをして誤魔化すと、バイエルンも焦った様子でそれに続く。すると、男たちはすごすごと立ち去って行った。もうすぐ統一とはいえ、未だ別個の国家なのだ。ここで事を荒立ててはいけない。

 俺は一触即発の自体を避けられたことに胸を撫で下ろすと、本題に戻った。

「とにかく、ルートヴィヒはこちらに向かってる。俺は今日あたり迎えに行くつもりだったが、早いに越したことはねえ。考えようによっては好都合だ」

俺が言うと、バイエルンは反論した。

「いや、俺たちにとっては、ルートヴィヒが今日来ようが明日来ようが関係無い。問題なのは、ルートヴィヒが安全かつ確実にここに来ることが肝要なんだからな」

「お前なぁ……今更兄馬鹿かよ」

俺が冗談半分にツッコむと、バイエルンは

「当然だろ? 何より俺たちの弟だし、俺たちのライヒだ。それに、」

意外な言葉を投げてきた。

「俺たちはプロイセン、お前が帝国になるのを歓迎しない。お前がドイツ統一を果たすにはルートヴィヒ――お前はどうせ、元・神聖ローマであるルートヴィヒを統一ドイツであるドイツ帝国にするんだろうが――俺たちの弟の存在が必要不可欠だ。その点ではお前がルートヴィヒのことを一番心配してるんじゃないか? だから俺はお前ほど兄馬鹿してないぜ」

 バイエルンの言葉に、俺は少し驚いた。実を言うと、俺は今まで大国の――主にオーストリアの――言いなりなっていたこいつが、そこまで見抜いていたとは思わなかったのだ。

 俺はバイエルンに訊いた。

「――いつから気付いていた?」

「フランクフルト国民議会のあたりからだな」

答えを渋るかと思いきや、意外とすんなりとバイエルンは回答した。

「思えば、あの時からお前の様子は変だったし――実質的にはお前が俺たちの中では一・二を争うほど勢力が大きいとしてもだ――それに、元々“反帝国”の筆頭であるプロイセンがドイツ統一なんて言い出すとか、誰が考えてもおかしいだろ?」

冗談っぽくバイエルンは笑う。その一方、俺の中で、急速に心が静まり返ってゆくのが分かった。

「それで?」

その冷たい心のままに、俺はバイエルンに訊ねた。

「ここで俺をどうこうするつもりか? 何のために自分たちのライヒである弟を利用するか分からない“反帝国”国家から、その愛すべき弟を守るために?」

「――俺にそんな実力があると思うのか、プロイセン?」

俺もそうだが、バイエルンも冷静だった。バイエルンは俺の目的を見抜いていたのみならず、自分自身の実力もちゃんと理解している。

「旧ドイツ連邦の中で第三の勢力を持つバイエルン王国とはいえ、第一と第二の間にだいぶ差がついて第三だ。それに、オーストリアさんが倒れた今、俺はどうすることも出来無い」

本来牽制されるべきバイエルンが、元来牽制するべき俺をそうするように続ける。

「それにどうこうする気もない。先程終わった会議で、我がバイエルン王国の権限をドイツ帝国の元でも続けて認めることを、お前のところの首相――ビスマルクって言ったっけか? が、自分自身の口から言ってたしな。だいぶ金も貰ってるし、何も言うことはねえよ」

ありがた迷惑だけどな、とバイエルンは付け加えた。

「じゃあ別に不満なんて無いだろ。――ってか何だよ、“ドイツ帝国”って。誰が言い出したんだそんなの」

「そのビスマルク首相が言い出したんだよ! お前のとこの首相だろ……ってああ、お前いなかったんだっけか?」

俺の知らぬ間に、ビスマルクはまたとんでもないものを閃いたようだった。だが、何よりもその“ドイツ帝国”という言葉にバイエルンが陶酔している様子なのがおかしい。

「おう、お前が起こしに来るまでガッツリ寝てたぜ。てか、“ドイツ帝国”ね……、国家主席の名前もどうせ“皇帝”なんだろうが、お前はこういうのが好きなのか?」

ノリノリのバイエルンに俺は訊ねた。

「だって“皇帝と帝国”だぜ?! 格好良くないって言うほうがおかしいだろ」

「……よく分かんねえけど、こういうのが受けが良いっていうのはよく分かった」

――また立場が悪くなったら使おう。俺がそう思った矢先、バイエルンはしかめっ面で俺に言った。

「でもお前のところの王様には受け悪いみたいだな、ずっと戴冠の要請を突っぱねてるって聞いたぜ?」

「……なんだと?」

俺は驚くが、それをバイエルンは不思議そうに見ている。

「――知らなかったのか?」

「いや……、バイエルン国王に帝冠を進呈してもらうってことが決まった時点で万事解決だと思っていた――まだ何かあるのか、ヴィルヘルムは?」

「俺が知るかよ。――我がライヒにしろ、お前らの国王陛下にしろ、両方が了承しない限り、お前の目指すドイツ統一は出来無いぜ? せいぜい頑張ればいいさ」

吐き捨てて、バイエルンは自分のところの王子のところへ去って行ってしまった。


   *


 『本当に、兄の――プロイセンのところへ行くつもりなのか?』

と、神聖ローマは俺に訊いた。

『プロイセンの元でドイツ帝国になるのか』

と。

 俺は答えた。

『そうだ』

 『プロイセンは自分自身が生き残るためだけに、お前を利用しようとしているだけだ。お前はむざむざと利用されに行くのか?』

神聖ローマの問いに、俺は答えて

『それでも構わない』

と言った。

『兄さんを救うためなら、例え利用されても、俺は構わない』

 神聖ローマは焦っているようだった。俺に思いとどまらせようと必死な様子だった。

『オーストリアの元でなら、お前をちゃんと傀儡などではない、帝国として扱ってくれるだろう。けれどプロイセンはどうだ? 昔からそのオーストリアと張り合ってきただろう、そう、神聖ローマたる俺が弱れば弱るほど、彼は力を付けてきたではないか! 何故プロイセンの傀儡などに成り下がる必要がある?! あの“反帝国”に、お前は取り込まれてしまうかもしれないのに?!』

『そうなったら、』

神聖ローマの言い分に、俺は反駁した。

『いや、そうなってしまっても、俺は選択するだろう。――“両方が助かる選択”を』

その答えに、神聖ローマは笑ったように見えた。

笑って、『××××を××』と呟き――


   *


 ドォン、という轟音で目が覚めた。

 見れば、俺の乗っている列車は、既にプロイセンを始めとするドイツ諸邦の砲兵隊の陣地の真っ只中に入っていたのである。当然ながら、未だにプロイセンはフランスと交戦中であり、砲口は皆一様にパリの方角を向いていた。

 再びドォン、と砲が火を噴くのが見えた。

 間もなく、ベルサイユ宮殿への最後の経由地に到着する。

「――迷わない」

誰に問われるまでもなく、俺はそう呟いていた。

  • 初出:pixiv「【ヘタリア】栄光のtimen Sie Null 《4》前編」2013年3月14日 投稿
  • 参考書籍
    • セバスチァン・ハフナー『図説プロイセンの歴史―伝説からの解放』東洋書林
    • ジェフリー・リーガン『ヴィジュアル版 「決戦」の世界史 歴史を動かした50の戦い』原書房
    • 渡部 昇一『ドイツ参謀本部―その栄光と終焉』祥伝社
    • 日本語版Wikipediaより、『オットー・フォン・ビスマルク』『ヴィルヘルム1世』『ヘルムート・フォン・モルトケ』

栄光のtimen Sie Null 〈4〉後編

 バイエルンから、我がプロイセン国王陛下が未だに戴冠の要請を断固として断り続けているという報を受けた俺は、そのプロイセン国王であるヴィルヘルムのいる宮殿の一室へ向かった。

 部屋の前に立っている兵達の捧げ銃に敬礼を軽く返し、扉をノックして入る。――と、いきなり、

「何故なのです?!」

という、王太子であるフリードリヒの怒号が聞こえた。

「フリードリヒ。そんなに声を荒げて、一体どうしたってんだ?」

その怒号に少しビビりつつ、挨拶もそこそこに、俺は父王を説得しているらしいフリードリヒに質問を投げる。この言葉に、やっと俺に気づいたらしいフリードリヒは、こっちを振り向いて落ち着いた声で俺の名を呼ぶ。

「プロイセン」

すると、閃いた、といった様子で、俺を手招きする。

「父上に未だにドイツ帝国皇帝戴冠を了承戴けぬのだが、私では力不足のようだ。断固として聴いて戴けない。プロイセンからも言ってはくれないか?」

フリードリヒの隣に立つなり、そう説明され、俺は椅子に座ってずっと顔を伏せている我が老王のほうを見た。なるほど、バイエルンが言っていたことは本当だったようだ。

 俺は一つ溜息をついてから、

「おい、ヴィルヘルム」

と声をかけた。ヴィルヘルムは声をかけられて、顔を少し上げてこちらを一瞥すると、また顔を伏せてしまった。

「この期に及んで未だ『戴冠しない』だって? 未だそんなこと言ってんのかよ」

ヴィルヘルムはこちらを無視して、ずっと瞑想しているかのようだった。こちらもそれを無視して続ける。

「戴冠式は明日だっていうのに。お前が『気に入らない』っていうから、お前の為にその原因を徹底的に排除してきたよな? その為にわざわざ“兄弟”達に戦争を仕掛け、バイエルンの“狂王”に城の建設費用を贈りさえもした……これ以外に何が不満だって言うんだ?」

こう言っても国王は顔を伏せったままだ。俺は溜息をまたついて、髪をくしゃくしゃと掻きむしった。ここまで頑として態度を貫き通されるとは思っていなかったのだ。

 (こうなったら、“アレ”を言うしかないか?)

言ったら絶対に反感を買うだろうし、まさか“コレ”が原因だとは到底思えなかったが、モノは試しだ。

俺は大袈裟な素振りで“ソレ”を言った。

「まさか、いやまさかとは思うがな? まさか、我が国王陛下は『あの』新聞記事のことを気にしているのか?!」

これには誰も反応しない訳がなかった。ヴィルヘルムも勿論顔を上げたが、口を開けたのはフリードリヒのほうが先だった。

「『あの』新聞記事とはどういうことだ、プロイセン?!」

フリードリヒが先に引っかかるのは想定外ではあったが、この機を逃す手はない。

「どうもこうも、本国の新聞が、ヴィルヘルムではなくビスマルクのことをこぞって書き立てていることだ。中には『ビスマルク一世』なんて書いてるところもあってな――」

しかしフリードリヒは説明を途中で遮って、父王に向き直り、食って掛かっていた。

「まさか父上、そんなことが原因で戴冠を渋っておられるのではないのでしょうね……?!」

まさか父王が臣下とあろう者より下の扱いを受けているのが原因で戴冠の要請をはねつけているとでも思ったのだろう、半ば戦慄しているような表情で、王太子フリードリヒは父王に迫る。

 ヴィルヘルムは『違う』とでも言いたそうに口を開こうとしたが、その寸前のところで部屋に「失礼します」と入って来る男が居た。――ビスマルクだ。……自分でこの話題を出しておいて何だが、何てタイミングだ。俺は驚くが、それはその場に居た王や王太子も一緒だった。

「む、何ですか皆様方?」

俺がぎょっとした表情をしていたのが見えたのだろう、ビスマルクが訊いてくる。俺は慌てて「何でもない!」と返す。ビスマルクは訝しげに首を傾げたが、それはそれきりだった。俺はそれだけで胸を撫で下ろしたい気分だが、そんな訳にもいかない。

ビスマルクはいつもどおりの調子で、王に

「陛下! そろそろご決断なされましたか?!」

と訊ねる。だが、そう訊いてはいるものの、とても肯定的な返事が返って来るように期待している感じではなかったけれど。案の定、ヴィルヘルムは唸るように

「いや――」

と答えた。

ビスマルクが静かに溜息をつきかけたところで、フリードリヒが口を開いた。

「ビスマルク=シェーンハウゼン伯爵、貴官は自分が本国に於いて『ビスマルク1世』と書き立てられていることは知っているのか?!」

先程のように激しい口調で、自国の首相を問い詰める。臣下への評判のせいで父王が戴冠しないと決めつけているのは目に見えている。それにフリードリヒは、そもそも保守的な思想の持ち主であるビスマルクがあまり――いや、強烈に嫌いだ! 俺は今になって、フリードリヒの前で『ビスマルク1世』の話題を出したことを後悔した。

 しかしビスマルクは、そんな王太子の気持ちを知ってか知らずか、平然と

「存じ上げております」

と答えた。何故そこで肯定するんだ、それはフリードリヒの怒りに油を注ぐだけだと分かっているだろうが! と、俺の焦りもほぼ最高潮に達する。

ビスマルクもそれで王太子が何を言いたいのかが分かったのだろう、彼は王の前に向き直り、先程の王太子と同じように、

「それでなのですか?」

と訊ねた。もちろん、その質問にもヴィルヘルムは「違う」と答えかけたが、やはり返答する前に

「そうなのですね?」

と言った。けれど、俺にはそもそも答えなど要求していないようにも見える。

 「それは、このビスマルク、出過ぎた真似を致しました」

そして、そのいつになく大人しい物言いに、俺はビスマルクに何か考えがあるのだと思った。

 しかし、俺がそれに安心しかけたところで、俺の中で稲妻が走るような感覚がした。ビスマルクの手元から、聞き覚えのある小さい金属音がしたからだ。それが拳銃を取り出す音だと認識するのに、一秒もかからない。

「おい、ちょっ――」

「では、ビスマルクめはここで自害させていただきます」

その言葉と、取り出された拳銃に、部屋中に緊張が走る。

 「っば――」

俺の口から変な音が漏れ、

「伯爵! それを捨てよ! ここは王の御前であるぞ?!」

と、王太子が言い放つ。だが、ビスマルクはそんな言葉は気にもとめない。

「私は陛下が戴冠なさらないことも、陛下に成り代わることも一切望みません。ならば、こうする他無いのです」

 「オットー・エードゥアルト・レーオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン!」

俺は叫んだ。

「馬鹿な真似はよせ! お前がそんなことをする必要性がどこにある?! 人間一人が命を捨てたところで――」

「馬鹿はどちらです、プロイセン殿!」

ビスマルクが俺の言葉を遮って反駁する。

「貴方の願いは我々はじめ国民皆の願い。そしてドイツ統一が貴方の願いならば、それは我々の願いでもある。そうである限り、貴方の願いが貴方一人の妄想ではありません。ありませんが、このくらい命を賭けねば、ドイツ統一や――戴冠もやっていられないと申し上げたはず!」

その言葉に、俺は黙るしかなくなった。それを見たビスマルクは口元だけで小さく嗤ってから、ずっと止めることなく黙ったままの自らの王に向き直り、

「陛下。陛下に於かれましては、明日、是非とも戴冠式を完遂なされることを望みます」

その自分の喉元に、銃口を押し付け――

「では――」

「やめろ――ッ」

俺の叫びも意に介さず、引き金を引――

 「貴様ッ、何しようとしている!」

引きかけたところで、急に部屋の外が騒がしくなった。

「貴様、分際を弁えているのか! ここはプロイセン王であらせられるヴィルヘルム陛下の居られる部屋であるぞ!!」

その見張りの兵達の怒号に、俺や、自殺しようとしているビスマルクでさえも、皆一様に部屋の扉のほうを見た。

「存じ上げている! ただ、俺は陛下に、いや、プロイセンの国家でも良い、お目通り願いたく――」

 聞き覚えのあるその声に、俺はその名前を呼んだ。

「――ルッツ?!」

ルートヴィヒが来ている。その事実に、俺はあることを思いついた。これならば、誰もが納得して戴冠式を迎えられるかもしれない。

 俺は部屋にいる皆に目配せし、ルートヴィヒを入れて良いか軽く了解を取る。これにはさすがにビスマルクは銃を収めたし、ヴィルヘルムは顔を上げた。その反応に、俺は扉の方へ駆け寄り、部屋の外に首を出した。そして、必死にルートヴィヒが入ろうとしているのを止めて、追い返そうとしている兵達に向かって命じる。

「構わない、入れてくれ」

兵達はこの命令に、渋々といった感じで応えて引き下がってゆく。一方のルートヴィヒは、俺がルートヴィヒの為にと用意していたプロイセン軍の軍服をしっかり着込んで、そこに立っていた。一瞬俺の登場にぽかんとしていたようだが、俺の顔を見て気を取り直したようだ。

「――兄さん」

ルートヴィヒは緊張した面持ちで、こちらを見て俺を呼ぶ。俺は笑って、

「なかなか似合っているじゃねえか、その軍服」

と言うと、

「それはそうと、調度いいタイミングで来たな、ルッツ。中へ入ってくれ。皆お待ちかねだぜ」

とルートヴィヒを部屋の中へ導いた。

「……さて」

俺は扉を再び閉じて呟く。そして、一息ついて、俺はヴィルヘルムに話しかけた。

「ヴィルヘルムはどうしても俺達に戴冠を拒否したい理由を聞かせたくないようだから、それは諦めるが、だったら、せめてルッツには聞かせてやってくれないか?」

ヴィルヘルムは相変わらず黙ったまま、しかし目を見開いてルートヴィヒを見た。俺はニヤリと何時かの時のように三日月のように笑って、ルートヴィヒの隣に立って続けて言う。

「分かってるかもしれないが、ルッツ、いやルートヴィヒは何と言っても、これからドイツ帝国の国家様を務めるんだからな!」

それが止めだった。ビスマルクとフリードリヒは刮目してルートヴィヒを見る中、ヴィルヘルムは観念したように溜息をついて、

「皆、一旦外してはくれんか。――ドイツ帝国殿と二人きりで話がしたい」

そう言った。

「――兄さん」

到着後すぐの急展開と、プロイセン国王の突然の言に、当然ルートヴィヒは少し戸惑っていた。俺はルートヴィヒの肩を抱き寄せ、

「話した通りだ。すまないが、これがお前の、ある意味最初で最後の仕事になる。――ヴィルヘルムのことは任せた」

と、耳元で囁く。ルートヴィヒがゴクリと唾を飲み込むのが聞こえた。

「お前が本当にドイツ帝国になる決心がついているかは、こんな状況になってしまった以上訊く余裕は無いし、それはこの国王陛下も一緒だ。申し訳ないと思ってる。だが、だからこそ、お前は最後の決断を下せるんだ。つまり――」

俺は、ルートヴィヒの緊張だけでも何とか落ち着かせようと、必死に言葉を考えていたのだが、不意にルートヴィヒの顔が見え、その必要性が無かったことに気がついた。

「……まあいいや」

俺は、全ては取り越し苦労だったと息をつく。そして、ぽん、と肩を叩いて、

「後は頼んだぜ」

再び笑って、俺を待っていたらしいビスマルクと、何となく不安顔のフリードリヒを伴って部屋を出た。


   *


 兄さんが王太子と首相と共にこの部屋を出て、扉が閉まる重苦しい音が響く。

 俺ことルートヴィヒは、兄たるプロイセンが笑ってここを去って行ったのを見送ると、ヴィルヘルム陛下と向き合った。――ヴィルヘルム陛下は、椅子に腰掛けてこちらをじっと見ている。俺は立ったまま、王に話しかけた。

「――お久しぶりです、国王陛下」

「あの時は未だ王太子だったがな」

懐かしさと共に哀愁を感じる声色で、王はお答えになる。

「君がベルリンを去ってから、もう何年になる?」

「二十一年程になります」

「成る程」

俺の答えに、ヴィルヘルム陛下は少しお考えになって、

「『“国家”の成長速度は人間のそれと比例しない』と、いつだったかプロイセンに聴いたが……あの時から今までだけであれば、君は人間と同じ位の成長の仕方をしていたということだな。……で、実際、この二十一年は君にはどう感じた?」

とお尋ねになった。――何気ないご質問ではあったが、俺にはそう問う陛下の眼差しから、そのようなものではない気がした。俺は答えて、

「……早かったように思います」

と申し上げた。だが、陛下の表情は未だ緊張の色を崩されなかった。

 「それで、陛下。『戴冠を拒否』なさっているとのことですが――」

俺は再び話を切り出した。この話題に、陛下は今までで一番深いであろう溜息をついて、口を開かれた。

「ドイツの前で言うのもどうかと思うが……正直、私にはプロイセンが自死でもしようとしているように見えるのだ」

俺は、この予想だにしなかったお言葉に、当然喫驚せざるを得なかった。目を見開く俺をよそに、憂鬱でやり切れない表情のヴィルヘルム陛下はお続けになる。

「このまま私が戴冠して――ドイツ帝国皇帝となり、ドイツ統一がされれば、遅かれ早かれプロイセンは消えることになる。周囲の者に王太子のフリッツ、それどころか首相であるビスマルクや当のプロイセン自身でさえ、これは老人の感傷的な愛着のようなもので、ただの思い過ごしだと言っているが――」

陛下は半ば苛立ちながらお話しになり、落ち着きをお戻しになるために、一旦言葉をお飲み込みになった。感情をぐっと堪えるように打ち震えていらっしゃるのを見て、俺は、

「陛下は、自死のような真似をしようとしている兄を止めるために、戴冠を拒否されているのですか?」

と訊ねた。陛下は言葉で言う代わりに、重く頷かれ、

「プロイセンがそうしようとしても、君主である私が首を縦に振らない限りは達成されないからな」

そうお答えになった。そして、陛下は一息着かれて、

「それに、あのビスマルクは、ドイツ統一が達成されなければ、列強諸国に囲まれたドイツ連邦はこの先どうなるか分からぬと言っているが、その代わりに私が先代である兄上や――偉大なる父祖達から受け継いできたプロイセンが消えてなくなるというのならば、私はこのままプロイセンに残りたい」

そう仰った。そして、言いたいことを言い切ったといったご様子のヴィルヘルム陛下は、顔を伏せてしまわれた。

 「――陛下、」

「君だって、新しい帝国には私のような老いぼれよりもフリッツのような、未だ若い皇帝を迎えたいだろう? 彼ならば進んで誠心誠意その新しい地位に取り組んでくれるぞ。だから、説得するならば私よりも王太子のフリッツを――」

「陛下!」

俺は、尚も戴冠を拒み、更には説得を諦めるように仰る王の言葉を遮って叫んだ。陛下は言葉を俺に切られたことに驚かれ、目を丸くされたが、俺は構わず続ける。

「陛下は、皆が陛下のお気持ちを理解していないと仰いますが、ですが……恐れながら、俺には陛下が、周囲の、首相をはじめとする臣下、王太子殿下、そして兄であるプロイセンの気持ちを理解されていないように思われます」

俺の言葉に、陛下は再び驚かれ、

「私が……?」

と呟かれた。俺は頷いて、

「ドイツが統一されれば、遅かれ早かれ、プロイセンは消えてなくなる――、陛下はそう仰いました。しかし、陛下がそうご存知であることを、首相や王太子殿下、ましてプロイセン自身が知らないということがあるでしょうか? それを知っているからこそ、今回このような形でドイツ統一を――陛下の戴冠式を執り行うことになったのではないでしょうか」

「君に何が――」

「分かります」

陛下の再びの反論を俺は遮る。

「俺もこの一連の政治運動と諸戦役の渦中に居たのです。知らないわけには参りません」

陛下は不満の少し滲む表情ながら、俺の言い分を黙って聴いてくださっている。

「先程、陛下は“新しい帝国にはご自身よりもフリードリヒ王太子殿下のほうが、誠心誠意新しい地位に取り組む”と仰りましたが、その王太子殿下が、自分よりもヴィルヘルム陛下、貴方のほうがドイツ帝国皇帝に相応しいと言っておられます。勿論、俺は直接王太子殿下からご意思を伺ったわけではありませんので、これは想像でしかありませんが――王太子殿下はプロイセンを消さずにドイツを統一させるためには、自分よりもプロイセンを良くご存知である陛下が皇帝になられたほうが良いと判断されたからです。それに――」

俺は俯く陛下と目線を合わせるため、跪いた。

「何より、明日は一月十八日、兄・プロイセンが百七十年前にケーニヒスベルクで王国と相成った日なのです。明日、ヴィルヘルム陛下がドイツ諸邦の王よりドイツ帝国皇帝の帝冠を奉呈される――つまり、ドイツ諸邦の王の中の王として、ドイツのどの国の王よりも優越する国家の王として、陛下は君臨される。そのためにビスマルク首相は多大な努力をしました。……全てはプロイセンと、陛下のためです」

 陛下は俯いたまま、溜息を一つ、深く着かれて、

「――先程、私は君に、『二十一年はどう感じたか』と訊いた」

ゆっくりと、先刻よりも落ち着いたご様子でお話しになった。

「はい」

「君は『早かったように思』うと答えたが――、私には君がどのように『早かったように』感じたか分からない。人間のそれと同じだったかも知れないし、流れ星の過ぎる時のあの一瞬のようなものかも知れん。だが、君はたとえ流星の一瞬でも、私やフリッツや、何よりもプロイセンと共に居てくれるか? 共に生きて、この国の歴史を見届けてくれるか?」

陛下はその時、顔を上げて、真っ直ぐこちらをご覧になった。

「はい」

「プロイセンが消えることになっても?」

「消させはしません」

俺はきっぱりと言った。

「俺は兄を、プロイセンを、決して消させはしません」

この言葉に、陛下は椅子から立ち上がられた。俺も一緒に立ち上がる。

「ならば、私は諸君と共に行くとする――行かねばならない」

ヴィルヘルム陛下は、真っ直ぐに、こちらを見据えて、

「行こうではないか? ――ドイツ帝国殿」

俺を、そうお呼びになったのだった。



 そして俺は、再び全ドイツを代表する“帝国”となった。

 諸邦の軍旗が翻り、大砲の音が轟くヴェルサイユの鏡の間で、帝国の成立は宣言された。

 王達は我が皇帝を祝福し、

 将校達は剣を掲げ、

 そして、俺の横には兄さんが居た。

 もう誰も失わない。

 もう失敗は繰り返さない。

 約束も、誓いも、全て果たそう。

 俺は、ドイツなのだから。


   *


 「あのな、イタリアちゃん。神聖ローマは、死んでいないって知らないのか?」

「……え?」

プロイセンの言葉はあまりにも意外すぎて、俺――イタリア――はワイングラスを取り落として――、当然ながら、ワイングラスが割れて、その音が部屋中に痛いまでに反響した。

 俺は居ても立ってもいられなくなり、食事中であるにも関わらず、プロイセンのほうに身を乗り出す。がしゃがしゃと食器同士がぶつかり合う。

「それ、どういうことなの――死んでないって、神聖ローマは、死んで――」

「落ち着けイタリアちゃん!」

プロイセンは意外にも冷静だった。いや、俺がただ単に驚きで落ち着きを失っていただけなんだけど。俺は再び訊ねる。

「どういうこと? ――“死んでない”って、つまり、生きてるの?」

「いや、“死んでない”だけだ。落ち着いてよく聴いてくれよ――」

プロイセンは一息おいて、事情を説明してくれた。



 良いか、イタリアちゃん。

 『神聖ローマは、“死んでいない”』。これは確かな情報だ。実を言うと、俺の他にもオーストリアやハンガリー、ロシア、そしてフランスも知っている。ドイツ連邦ではバイエルンやザクセンとかは知ってるけど、他はどうだか分からねえ。まあ、統一直前には知らせるさ。

 けど、イタリアちゃんが知らなかったのは俺も驚いた。多分、オーストリアの坊ちゃんあたりが気を効かせたんだろう。



「でも、何で俺に知らせてくれなかったの? 神聖ローマは“死んでいな”かったのに。俺は約束したのに、神聖ローマと――」



 そう、そこだ。『神聖ローマは、“死んでいない”』。でも“生きてもいない”――今、あいつは将来の統一ドイツ、『ドイツ帝国』になる者として生きている。自覚はまだないだろうけどな。つまり、同じ器の別人――神聖ローマとは他人だ。別人格とか生まれ変わりとか、そこらへんの概念はよく分からないが、確かなのは『ライン同盟以前の記憶が無い』ってことだ。

 オーストリアが配慮したのはそれが原因だろう。イタリアちゃんにそんな状態の神聖ローマ――じゃ、ないけど――を会わせたら、ショックを受けるどころじゃないって、あいつは踏んだんだ。



 プロイセンが説明を終えると、俺は口を開いた。

「ねえ、その、――ドイツに会えないかな」

「へ?」

プロイセンが意外そうな、きょとんとした顔になる。俺は勇気を出して続けた。

「オーストリアさんが俺に気を使ってくれたのは分かった。プロイセンも神聖ローマのことを話してくれてありがとう。でも、俺はもう子供じゃないんだよ? ちゃんと統一出来るまでは信じて貰えないかもしれないけど、俺だって、オーストリアさんからする、自分のことは自分達で決められるんだよ! ――待ってるだけじゃ駄目なんだ、神聖ローマとの約束も果たしてない。だから」

プロイセンは驚いた顔をしてこちらを見ていた。けど、途端に破顔して、

「しょうがねえな」

と言ったのだ。



 そして、時はWW1。俺、イタリアは、最前線の国境付近に居る。

 状況はさっぱり良くない。ついさっきドイツ軍がすぐそこまで来ているという報告を受けて、みんな慌てふためいていた。それは俺や兄ちゃんにも言えることなんだけど。

「うわああああ! ドドドドイツ軍が来るよう!!」

「撤退だ! 撤退だちきしょー!!」

俺や兄ちゃんの叫びに、イタリア軍のみんなはいつも通りの調子で、全力で後方へ逃げていく。もちろん、兄ちゃんも装備も捨てる勢いで撤退の準備を始めた。俺も準備に取り掛かろうとした、けど、そこであの懐かしい約束が頭をかすめた。俺の手が止まっているのを見て、兄ちゃんが叫んだ。

「撤退だっつってんのが聞こえねえのか、ヴェネチアーノ!」

「兄ちゃん――」

俺は兄ちゃんのほうを見て言い放った。

「俺、ここに残るよ」

兄ちゃんは泡を食った様子だ。

「なっ――死ぬ気かこのやろー!! 相手はドイツ軍なんだぞ?!」

「ドイツ軍だからだよ、兄ちゃん。もしかしたらドイツに会えるかもしれないもの」

「ッく――」

食い下がろうとする兄ちゃんだけど、もう俺達の他にイタリア兵は殆ど残っていない。それを見て、兄ちゃんは舌打ちしてから、

「死ぬなよ、ちくしょー」

そう言って、踵を返した。

 みんなが退却したのを見て、俺は逆に、ドイツ軍が進軍して来るであろう国境方面へ向かった。けど、急に足が竦んできたのだ。

(ああ、やっぱり恐い)

他人だと言われてはいるけれど、過去の神聖ローマとの思い出を思い出して、どんな人なんだろうと考える。そして、考えれば考えるほど、俺の足は進む気をなくしていく。

(や、やっぱり恐い! どうしよう、ここ国境だし、もうすぐドイツ軍が来ちゃう! どうしよう……)

俺はへたってしまった。せめて隠れる場所がないかと辺りを見回す。――と、

「あ」

すぐ近くに、俺は隠れるのに手頃な大きさのトマト箱を見つけた。



《Ende und Fortsetzung folgt》

  • 初出:pixiv「【ヘタリア】栄光のtimen Sie Null 《4》後編」2013年3月14日 投稿
  • 参考書籍
    • セバスチァン・ハフナー『図説プロイセンの歴史―伝説からの解放』東洋書林
    • ジェフリー・リーガン『ヴィジュアル版 「決戦」の世界史 歴史を動かした50の戦い』原書房
    • 渡部 昇一『ドイツ参謀本部―その栄光と終焉』祥伝社
    • 日本語版Wikipediaより、『オットー・フォン・ビスマルク』『ヴィルヘルム1世』『ヘルムート・フォン・モルトケ』
  1. 0
  2. 1
  3. 2
  4. 3
  5. 4