黒山羊塔

第六幕前編:原初の灯火

 そこは講堂というより、教会の礼拝堂にも似ていた。

 講堂内には教壇に向かって座席が設えられていたので、幸太郎は適当に前からも横からも真ん中の席に着く。彼はホッと息をつくと、室内を見回し始めた。

 講堂内は薄暗い。教壇――というより祭壇に見える――にはキリストの十字架の代わりに、胸部から腹部にかけて多くの乳房のある、槍を携え兜を被った勇ましい印象の女神像が祀られている。講堂の最奥部の天井にある窓からは光が差しており、それが女神像を神々しく照らしていた。

 突然、講堂の出入り口の扉が開閉する音が大きく響いた。幸太郎は全く油断していたせいか、思わずびくりと飛び上がった。背後を振り向く。

 すると出入り口で真っ黒い人影がゆらりと揺れるのが見えた。明るい方へ進み出る人影。人影が進むのに追従するように、天井から下がった照明が灯されて行く。幸太郎の近くに寄ってきた辺りで、彼にはその人影がやっとリッツであるのが分かった。

 リッツは何時もながら、頭の上から足の先まで濡羽色で統一された衣装を着ていた。ただ今回は、自分が魔法使いであるのを誇示したいのか、頭の上には三角帽子を被り、小綺麗に整えられたマントをなびかせ、握りだけに白い石を使った杖――幸太郎にはそれが、いつか異端審問官によって捕らえられ、拷問を受けた時に使われたものに似ているように思われた――を携えている。その上革のブーツを踏み鳴らして歩くものだから、余計に芝居がかって見えた。

 リッツは教壇に登ると、お手本のような回れ右をし、幸太郎のほうを振り向く。そして講堂全体に響き渡るように呼び掛けた。

「魔力を扱う者と云うは、此の世と彼の世のあわいに立つ者を云う也!!」

幸太郎はこの言葉に、目を見開いてリッツに注目した――


   *


 ――どうしてここで幸太郎がリッツの講義を受けることになったか。それは以下に続く出来事があったからである。

 それは一八一〇年二月初頭のこと。

 ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは前年の十二月から翌月まで、王室に暇を賜っていた。休暇が明けて初めて王宮に出仕した日、早々にそれは起こった。

 「コウタロウ! コウタロウは居るか!!」

テーゲルに帰城した彼は緊張しているのか、幸太郎の名前を大声で呼び付けながら玄関ホールを行ったり来たりした。新しくこの屋敷に仕えるようになったばかりの若い娘は、落ち着かない様子で汗ばんだ手を開いては閉じを繰り返す主人を落ち着くように促しながら、彼の外套を脱がせる。

「カンジキ様は二階のお部屋におられます」

冷静な若い使用人の声に反して、主人であるフンボルトは一向に落ち着きを見せなかった。

「すぐに呼んで来い! ……否、やはり私が部屋へ行く!」

そう言い放つと、外套と荷物を使用人に押し付け、封筒を一通持って階段をずんずん駆け上がる。

「コウタロウ! 居るなら出て来い!」

その切迫した様子の声を聞きつけた幸太郎は、すぐに部屋のドアを開けて顔を出した。

「ヴィルヘルム! どうしたの?!」

フンボルトは幸太郎の元へ辿り着くと、息が切れているのも構わず幸太郎に話しかける。

「お前……一体何をやらかしたんだ?」

言いながら、フンボルトは持っていた封筒を差し出した。幸太郎は首を傾げながらそれを受け取る。見れば、封蝋の印はとても繊細ながら格式ある鷲の紋章であった。

 やっと息を調えた様子のフンボルトが口を開く。

「今日、宮殿に顔を出したら、王妃陛下の侍従に渡されたんだ」

幸太郎はフンボルトの言葉に驚いた様子で顔を上げた。

「王妃陛下……?!」

フンボルトは深呼吸をして冷静になろうと努めながら、慎重に言葉を発する。

「コウタロウ、それはルイーゼ王妃からの招請状だ……お前宛ての、だ……お前は王妃陛下に呼び出されている」

「えっ……?!」

 幸太郎は何を言われているか、一瞬理解が追い付かなかった。口をぽかんと開いてしまった。目を見開き、忙しなく瞬きをする。

 困惑しながら、幸太郎は再び封筒に目をやった。何度も繰り返し宛名を確認する。だが何度見ても、封筒の宛名は一文字の誤りも無く「Kotaro Kanziki」と書かれてあった。

 「でも僕、全然心当たりが無いよ。何か思い当たることをしていれば、とっくに警察か異端審問官のお世話になっているはずだけど……」

言い訳がましいことを言う幸太郎の手にある封筒を見下ろしながら、フンボルトは自らの顎に手をやる。

「待てよ……確か王妃陛下はリッツと契約関係にあったはずだ」

「〝リッツ〟……?」

フンボルトの呟いた人名を、幸太郎は復唱する。ただ、その名前は聞いたことがあっても誰のことかは思い出せず、彼は再び首を傾げた。フンボルトが面倒臭そうに解説する。

「ほら、お前が異端審問官に連行されたとき、助け出すために協力してもらった……」

その言葉に、幸太郎は目を見開いた。

「あの魔法使いだという……?!」

「そう、あの魔法使いのリッツだ」

そう言うフンボルト自身も、苦虫を噛み潰したような顔をしている。幸太郎はうんざりした様子で脱力し、「ええ……」と声を漏らす。

「あの面倒臭そうなリッツさんと王妃陛下が契約関係にあるの?」

「リッツの家は代々プロイセン王家と契約関係にあるんだ。本来は国王陛下と契約するはずだが、今は何故か代わりに王妃陛下が契約を結んでいるんだが……とにかく今はリッツと王妃陛下の間に結び付きがある。もしかしたら、リッツがお前のことを王妃陛下のお耳に入れたのかも知れないな」

フンボルトの説明に、幸太郎は頭を抱える。

 幸太郎は以前リッツに出会った時、彼に「悪魔を譲れ」と言われたことを思い出していた。あの時はそこに居るフンボルトの助けがあって、やっとの思いでリッツの手を逃れることが出来た。しかし王妃とのコネクションを使ってまで追って来るとは誰が思うだろうか?!

 幸太郎は絞り出すような声でフンボルトに訊ねた。

「何とかお断りすることは出来ないかな……?」

「まあ落ち着けよ」

今度はフンボルトが落ち着ける番になっていた。

「今回お前を招請しているのはリッツではない、王妃陛下だ。それにお前自身が言った通り、何か不都合があるなら、警察や審問官、あるいはリッツ自らの手でお前は捕縛されているはず。それが無いのだから、まずお前の安全に関わることでは無いだろう。それにこの招請がリッツの思惑だったとしても、まさか王妃陛下の御前でお前に手を出すなんて真似はしないはずだ。油断は禁物だが、安心して良いだろう」

幸太郎はフンボルトの言葉に、ためらいがちにうなずいた。幸太郎が不本意そうにしているのを察してか、フンボルトはそれを誤魔化すように苦笑する。

「僕は自分の仕事で忙しいので付き添えないが、まあ……頑張って来い!」


   *


 そうして幸太郎は王宮へ登城する日を迎えた。王宮からやって来た迎えの馬車と護衛たち――ローマからドイツへやって来た時のように、日本人の子孫たちであった――に警護されて、彼は宮殿へと向かう。

 その城はベルリンの中心部にある、川の中洲に建っていた。繁華街である菩提樹の下通りUnter den Lindenを通過し、遊歩庭園Lustgartenを望む橋を渡って、王宮の西面に到着した。

 降車する幸太郎。彼は馬車に揺られて受けた衝撃を和らげるためか、或いはいよいよ王妃陛下と面会することから高まってきた緊張をほぐすためか、肩を片方ずつぐるぐると回した。彼の目前にはベルリン王宮が誇る建造物のひとつ、エオザンダー門がそびえている。幸太郎はそれを見上げた。

 そうしていると、その門から宮廷人らしき綺羅びやかなクリームイエローで統一された装束の人物が登場した。その人物は幸太郎の前にやって来ると、彼にうやうやしく頭を下げる。ブロンドの髪の束が一緒に垂れ下がった。

「コウタロウ・カンジキ様でいらっしゃいますね? わたくしは王妃陛下の侍従を務めております、オストヴァルトと申します。カンジキ様をご案内するよう、王妃陛下から仰せつかっております。さあ、こちらへお出でください」

オストヴァルトという侍従が門を透して城内を指し示す。幸太郎が彼の言うことに従って歩き出すと同じに、侍従も先導を始めた。

 幸太郎はオストヴァルトに城内を先導されつつ、内装を見回していた。数々の装飾や歴代の王族のものであろう肖像画が、彼の目には輝かしく映る。

「素敵な内装ですね」

幸太郎は言った。

「見たところバロック様式のようですが、いつ頃のものか分かりますか?」

侍従が一瞬振り返って微笑むのを、幸太郎は見逃さなかった。

「さすが画家の方ですね、お目が高いことです。この城はプロイセンの王・フリードリヒ一世の治世に、アンドレアス・シュリーターの元でバロック様式に改装されました。一七〇〇年代に入ったばかりの頃のことです」

幸太郎は侍従の説明に首肯する。

「なるほど、勉強になります。ありがとうございます」

今度はオストヴァルトが長めに幸太郎のほうを振り返って訊ねた。

「時に、カンジキ様はシンケル殿のお弟子さんだと伺いました。やはり建物のデザインにご興味がお有りなのですか?」

 なるほど、シンケルの絵画作品には建造物や風景画が多いとは幸太郎も思ってはいた。聞けばベルリンの都市計画にも、シンケルは携わっていると言う。しかし自分がそれをやるかは、幸太郎は少しも想像していなかった。

 幸太郎はしばらく考えて答えた。

「正直言って、今は絵画に注力していて、建築にはあまり興味は無いのですが、いつかそういったデザインも出来たら良いなと思っています」

 そうして世間話をしている間に、彼らは玉座の間に到着した。

 入ると、まず最奥部の壁にプロイセン王家の紋章が描かれているのが目に入った。その下に玉座が設置され、それを守るように天蓋と幕が覆っている。

 幸太郎はオストヴァルトに、しばらくこの部屋の中央で待つように言われた。女主人である王妃を呼びに侍従が一旦玉座の間から出て行くと、幸太郎はまた玉座の間の様子を観察し始めた。

 天井を見上げれば鷲をモチーフとした装飾が施されており、壮麗なシャンデリアが吊り下がっている。床は様々な石材で模様が構成され、一点の染みも許さない厳格さで光り輝いていた。

 幸太郎が部屋の美麗さに圧倒されて溜息を着こうとした瞬間、玉座の間にまた別の侍従のものらしき声が響いた。

「ルイーゼ王妃陛下の御成〜!」

幸太郎は驚いて心臓が高鳴るのを抑えられないまま、慌てて跪く。すると玉座の間の奥で扉の開く音がし、大勢の人間が入ってくる足音がした。幸太郎は、王妃が侍従たちやリッツなんかを従えて、ぞろぞろと入ってくるのを想像した。

 間もなく扉が閉まる音がして、続いて侍従の誰かが部屋の真ん中で縮こまっている幸太郎に問うた。

「そなたが、遠く未来から来たと言う、悪魔憑きの画家であるコウタロウ・カンジキであるか?!」

〝悪魔憑き〟と呼ばれて、幸太郎は眉を顰めた。確かに自分には悪魔が取り憑いてはいるが、人前で、しかも大勢の前で、堂々と口にされるのは余りにも心外であった。しかし今はプロイセン王妃の御前に居る。

 幸太郎は負の感情が口から漏れ出ないよう押し殺しながら答えた。

「はい、わたくしめが神喰幸太郎でございます」

「苦しゅうない、面を上げよ!」

気高く厳かなはっきりとした女性の声であった。幸太郎は言われた通りに顔を上げる。

 彼の正面、玉座の隣に設けられた椅子には、古代ギリシャ風のすっきりとしたシルエットの白いドレスに身を包んだ女性が、ゆったりと腰掛けている。

 着席してはいるが、男性にも負けない上背があることが伺えた。他の女性陣も皆そうであったが、たっぷりとした髪を後頭部の高い位置で束ねていることも、それを強調させる。ただ、彼女だけが他に居並ぶ人々よりも顔色が青白く見えた。しかし清く鋭く美しい目元が、病弱そうな印象を寄せ付けない。

 幸太郎は、このひとが、このひとこそが現在のプロイセンとその国王を支え、共に支配しているのだと確信した。

 また、王妃の左右両隣にリッツとカズモリが控えている。幸太郎はここにカズモリが居るのに驚き、心が浮足立つのを感じた。

 再び侍従のひとりが口を開く。

「コウタロウ・カンジキ、この御方がメクレンブルク=シュトレーリッツ大公女にしてプロイセン王妃であらせられるルイーゼ様である」

それを聴いて、幸太郎は再び顔を下げた。

「お美しいルイーゼ王妃陛下のお顔を拝する機会を得られましたこと、恐悦至極に存じます」

「よい、つまらぬ世辞は無用!」

ルイーゼ王妃が幸太郎の口上をさえぎって言い放った。

「そのようなことを聞くために貴殿を招じたのではない。わたくしが貴殿をここに招いた理由はただひとつ、我が国、愛しのプロイセンがナポレオンのフランスに打ち勝てるかどうか、その結果を知っているであろう未来から来た貴殿に訊ねたかったからである! プロイセンの存亡に関わることを知っているなら、その全てを言い聞かせて欲しいのだ。どうだ、知っていることはあるか?」

 「ええと……」

幸太郎は急に顔が紅潮するのを感じた。掌が湿っぽいようにも思える。視線が意味も無く床の美しい文様の線を追い始めた。何しろ、自分にしか答えられない内容で、かつ未来に起きることを伝えなくてはならないのだ。しかし、自分の分かりやすい狼狽うろたえ方が、何を話せば良いか思考するのを更に妨げて来る。

 「どうした、コウタロウ?」

リッツの話し方は、分かりやすく北叟笑ほくそえんでいる時の人間のそれであった。

「まさか我が国が滅亡する未来でも知っているのか?」

たわけたことを申すな、リッツ! 王妃陛下の御前であるぞ!!」

カズモリがリッツに怒号を飛ばす。

 それらを聞いていたルイーゼ王妃が幸太郎に重ねて問うた。

「どうなのだ、コウタロウ・カンジキよ。リッツの言う通り、我が愛するプロイセンは滅亡してしまうのか?」

 幸太郎は、勿論プロイセンがナポレオンのフランスのために滅亡するわけではないことは知っていた。しかし未来のことを軽々しく話すことに対しての責任が、彼の口を閉ざさせていた。

 ルイーゼ王妃は続けて言う。

「コウタロウ・カンジキよ。我が国が滅亡する未来を告げることに躊躇ためらいを覚える必要は無い。もしそのような未来が来るのなら、最後の一兵となるまで戦い、勇ましく散る覚悟だ。だから心配は要らぬ。貴殿の見聞きした未来を申してみよ」

 幸太郎の体に戦慄が走った。深呼吸をして冷静になろうと試みたが、震えが止まらない。思わずごくりと唾を飲み込む。

「恐れながら王妃陛下」

幸太郎はやっとのことで声を絞り出した。高貴な御方に聞こえているか怪しいほど、発音が唾にまみれて不明瞭な声だ。

「何故陛下はそんなに未来のことをお知りになりたいのでしょうか?」

それは、相手を恐れおののかせるほどの死への覚悟を持ちながら、未来へ希望を繋ぎたがるように見える王妃に抱いた、幸太郎の疑問であった。

 すると、ルイーゼ王妃の瞳が一瞬輝いたように見えた。ゆったりとした姿勢から身を起こす。

「……今わたくしは、我が国が滅亡するその時が来るなら、最後の一兵まで戦い、勇ましく散ると言った。しかし、それに子供たちを巻き込むわけにはゆかぬ。どうしても幸せに生きていて欲しいと思う。わたくしは一国の王妃ではあるが、それと同時にひとりの母親でもあるのだ」

ルイーゼ王妃は苦悶の表情で、そっと胸元に手を添える。

「わたくしは肺の病に冒されている。命ももう永くは保たないだろうとも考えている。自分が生きているうちに、子供たちが生き残るための算段を整えておきたいのだ」

彼女は立ち上がり、幸太郎に対して言い放つ。

「……国母として自身の子供の無事を優先することの不甲斐無さ、情け無さはわきまえている。だが子供たちのためなら何でもする! これが理由だ。さあ答えよ、コウタロウ・カンジキよ!!」

幸太郎は大きく息を吐いた。一瞬全身の力が抜け、自分の表情が多少は和らぐのを感じる。

 「王妃陛下のお覚悟、お聴かせ頂き、誠にありがとうございました」

幸太郎は顔を上げて、ルイーゼ王妃に少し微笑んで見せた。自分の胸をさすりながら言う。

「私、神喰幸太郎、とても感服致しました」

 しかし次の瞬間には、幸太郎は自信無さげに顔を伏せていた。

「しかし王妃陛下のご心配なさっているこの国の未来については、正直なところ、この後どうなるのか私にも分かりかねます。私の時代で一般的に学ぶ範囲の世界史では、この時代のこの国のことを大きく取り上げないのです」

ルイーゼ王妃もまた表情を曇らせた。脱力するように着席する。

「では未来から来たという悪魔憑きですらも、この国がどうなるか皆目分からぬということか?」

「なあんだ」

リッツがつまらなさそうに吐き捨てる。幸太郎を指して言った。

「皆の者、この者を早くつまみ出せ」

 「お待ち下さい!」

幸太郎は目を見開いて立ち上がった。周囲の者たちが動き出すのを制止するように両手を突き出す。

「王妃陛下、私の時代の世界史では、後の時代にこの国が大きく取り上げられる時がやって来ます! ドイツ統一の立役者として――」

リッツはあざけり笑った。

「ドイツ統一? 馬鹿な! 虚しい抵抗は止せよコウタロウ! バイエルンのように土着の民が築き上げたのではない人工国家であるプロイセンが、どうしてドイツを統一出来るというのか! それに北ドイツはともかくも、他の南ドイツ諸国やバイエルン、それにオーストリアが何と言い出すか――」

「今はその話はどうでもよい」

幸太郎とリッツの言い争いを、ルイーゼ王妃はさえぎって止める。

 王妃は再び幸太郎を見遣って訊ねた。

「とにかく、プロイセンは無事なのだな?」

幸太郎は姿勢を正し、再び跪いて答える。

「ただ私の知る世界史とこの時代とでは違うところがあるので、確実にそうだとは言えませんが……」

自信無さげな幸太郎の回答に、ルイーゼ王妃は気品に溢れた微笑みで受け止める。

「いや、良いのだ。子供たちが生き残る未来があるという希望が見えただけでも、わたくしは嬉しく思う。それに、その時々で予期せぬことが起きるのはよくあること。我々に出来るのは、目指す未来に向かって算段を立てていくことのみ!」

 王妃は再び立ち上がると、幸太郎に向かって手を差し出した。

「コウタロウ・カンジキ。わたくしのため、そしてこのプロイセンのため、その算段を立てることに力を貸してはくれぬか?」

幸太郎は首を捻りながら、うやうやしく頭を垂れて答える。

「は……私の画家としての力でお役に立てるのであれば――」

「否! 悪魔憑きのコウタロウ・カンジキよ!」

ルイーゼ王妃はきっぱりと言い放つ。

「貴殿の悪魔憑きとしての素養を活かし、魔法使いとして仕えてみぬかと言っているのだ!!」

 王妃の発言に、幸太郎は目を見張った。驚愕したのは彼でけではない。玉座の間に居た皆が女主人に注目した。ざわめき、困惑した様子で隣の者と顔を見合わせたり、頭を抱えたりしている。突然の王妃の言葉を疑ったのは、その場に居た唯一の魔法使いであるリッツとて同様であった。

 彼は体中を震わせながら、慌てて王妃に話しかける。

「急に何を仰るのですか、王妃陛下?! 陛下には私という魔法使いがついておりますのに!!」

その悲鳴のような発言を、逆に王妃がたしなめる。

「勿論、王室第一の魔法使いはリッツ、貴殿である。今までも頼りにして来たし、これからも宜しくお願いしたい」

しかし王妃は必ずしもリッツを安心させなかった。

「だがリッツよ、『悪魔憑きは豊富な魔力を悪魔から得ているから、優秀な魔法使いに最も近い存在である』と申したのは、貴殿自身であるぞ」

「確かにそう申し上げたかも知れませんが――」

 リッツはルイーゼ王妃の言葉に、弱々しく頭を横に振る。徐々に顔が青白くなってゆき、見た目にも分かるほど汗をかいた。

 王妃はリッツが小さく縮こまっているにも構わず続ける。

「算段を立て、かつ成功させるためには、手数を多く用意しておいたほうが良い。魔法使いも多く用意するに越したことは無いだろう」

リッツは肩を落として王妃に頭を垂れた。

「王妃陛下、貴方がそう仰るなら……」

 ルイーゼ王妃はそれを聴いて、改めて幸太郎のほうへと向き直った。

「では改めて問おう。悪魔憑きのコウタロウ・カンジキ、貴殿の悪魔憑きとしての素養を活かし、魔法使いとして仕えてみぬか?」

幸太郎のほうと言えば、この期に及んで未だに不安げであった。

「しかし王妃陛下、私は魔法を使ったことも無ければ、使い方も分からないのです」

「それでは魔法のことは、そこのリッツに教えを乞うが良い」

王妃はしょぼくれているリッツのほうを見遣ってきっぱりと言う。

「よいな? リッツ」

リッツは最早諦めた様子で、大人しく、そしてうやうやしく再び頭を下げた。

「王妃陛下がお望みであるなら」

 ルイーゼ王妃はリッツににっこりと微笑んで見せると、幸太郎に言った。

「貴殿が魔法使いとしての自信をつけるまでは、貴殿の申し出通り宮廷画家として迎え入れよう。それではどうか?」

幸太郎は微笑んで頭を下げた。

「ありがたき幸せ。必ずや画家としても魔法使いとしても、王妃陛下のお望みに応えられるよう、精一杯努めて参ります」


   *


 ベルリンのブランデンブルク門前の広場に幸太郎が呼び出されたのは、その数日後のことであった。

幸太郎は一通の手紙を手に、それと周囲の風景を見比べながら、広場をゆっくり周回していた。手紙にはただ一言、「王妃陛下の御命令のため、コウタロウ・カンジキをブランデンブルク門前で待つ」としたためてある。

 周回が何周目かに差し掛かったところで、突然幸太郎の背後から強烈な光が発せられた。彼が振り向くと、ブランデンブルク門が七色に光り輝いているのが見えた。

 ブランデンブルク門は二十一世紀からやって来た幸太郎の目から見れば、まるでプロジェクションマッピングで照らし出されたように、自ら様々な模様に光っていた。ただこれがプロジェクションマッピングでは無いのはすぐに分かった。門が原型を留めること無く、模様の形に合わせて粘土のように自由自在に変形していたのだ。模様が花の模様になれば門の輪郭に留まることなく大きな花が咲いたし、鳥が飛べばその翼が飛び出して見えた。

 慣れ親しんだ門の派手な変貌ぶりを見て、通行人は腰を抜かしたり、立ち尽くして呆然と見守ったり、子供などは興奮して笑い声を上げたりしている。一方の幸太郎は、これが十九世紀の風景の中で、しかも無秩序に形を変形させているのを見て、口をぽかんと開けて唖然としていた。奇天烈過ぎて、美しさの欠片も認められなかったのだった。

 こんなことが出来るのは、幸太郎の思う中ではただひとりしかいない。

 そうしていると光り輝きながら変形を続ける門の通路から、ひとりの人物が登場した。その者は門の変貌ぶりなどどうでもよいと言わんばかりに平然とした様子で、幸太郎の元へとやって来た。リッツだった。

「どうしたコウタロウ。そんな阿呆面を晒して」

からかうようなリッツの発言に、幸太郎は呆れた。

「これは何かのイベントですか? リッツさん」

対するリッツは自信満々に胸を張って答える。

「勿論、お前に魔法使いの偉大さを見せつけるためのものだ。一般の下々の者たちにも、時折こうやって見せる必要がある」

 そう言うと、リッツは幸太郎の腕を掴んだ。そのまま光り輝く門のほうへと引っ張って行く。

「さあ行くぞ、コウタロウ」

「行くって、どこに行くんですか?!」

奇天烈に光り輝く門へと連れて行かれることに困惑する幸太郎に、リッツは答える。

「我が領地、〝魔法使いの村〟だ。付いて来いコウタロウ、王妃陛下の御命令だ、お前を魔法使いにしてやる!」

リッツの決意を秘めたはっきりした物言いと速い足取りに、幸太郎は緊張感を覚えた。いよいよ魔法使いへの門をくぐる時が来たのだ。彼は唾をごくりと飲み込む。そのままふたりは光る門を通過した。


 一瞬目を閉じた幸太郎が再び瞼を開けた先には、鬱蒼とした森の中に切り開かれたらしい村があった。街道沿いには、中世に建造されたであろう石と木組みの家々が建ち並んでいる。それはいつか観光ガイドで見たメルヘンチックなドイツの風景と酷似していた。幸太郎はやっと自分がイメージしていたドイツの風景と出会えたことに、胸の高鳴りを抑えられなかった。

 先立つリッツが幸太郎のほうを振り返って言う。

「ここが魔法使いの村だ。俺の屋敷はこの先にある。付いて来い、コウタロウ」

幸太郎は首肯し、リッツに付いて街道を進んだ。

 周囲を見回してみると、家屋だけではなく、店舗も多数構えられているのが分かった。野菜などを並べた普通の食品店や、酔っ払いの出入りする酒屋の他、奇妙な形の雑貨や、怪しげな記号がラベルに記された液体入りの瓶をあきなっている店もある。魔法使いの村と言うのだから、魔法をすぐに始められるように道具を取り揃えている店も、平然と並んでいてもおかしくないのだろう。

 幸太郎がそれらを興味深く観察する一方で、自身もじろじろと見られているのに気付いた。奇怪なものを見るように、眉をひそめて目を向けられている。

「……リッツ様が大変なモノを連れているわ」

「……なんてモノを連れているのかしら」

そうささやく声も耳に入ったが、幸太郎は自分が異邦人だからだろうと考えることにした。

 ――この時代に来て早くも二年以上が経った。異邦人扱いにもとうに慣れてしまっている。

 しばらく歩くと、村の中でも一際大きな建物の前に到着した。

 その屋敷の屋根や木組み、壁の色、全てが漆黒に染まっていた。門の上には二羽の鴉の像が左右に対になって配置されている。他にも様々な箇所に鴉の意匠が施されていた。

 そうして周囲に圧倒的な威圧感を放っている建物の前に、リッツは突き進んで行く。

「さあ着いたぞ。ここが我が屋敷、〝鉄鴉亭〟だ」

すると、リッツは門に向かって力を誇示するように叫んだ。

「開けろ! 屋敷の主が帰ったぞ!!」

 途端に、リッツの号令に従うように屋敷の門が開かれた。それを見たリッツは鉄鴉亭の中へと大股で入って行った。幸太郎も慌ててリッツの後に続く。

「失礼します……」

幸太郎が遠慮がちにそう言って入る。すると、突然玄関ホールに「リッツ様、お帰りなさいませ」という大勢の声が響き渡った。リッツの帰還に沢山の使用人たちが集まってきたところであった。彼らはてきぱきとリッツと幸太郎の上着や荷物を脱がせたり受け取ったりしていく。

 リッツが使用人のひとりに話しかける。

「どうだ、ウーリはやる気になっただろうか?」

その問いに、使用人が「ウーリ様は――」と答えようとしたその時、二階から大きな足音を立てて誰かが駆け下りて来た。

「戻ったかリッツ! 何故カンジキとやらの指導を俺にやらせようとするのだ?!」

 そう不満を漏らした人物は、ベルリンで頻繁に見かけるプロイセンブルーの軍服を着用し、ブロンドの髪をオールバックにして整髪料でかっちりと固めた、軍人然とした青年であった。ただ普通の軍人と違って、屋敷までの通り道で見かけた魔術師たちのように白いマントを上から羽織っている。少なくとも、姿勢や言動からはリッツよりも大人びて見えた。

 リッツはウーリのほうを見てきっぱりと言った。

「決まっているだろう」

リッツは答えの数を指折り数えながら答える。

「ひとつ、実践的な魔術の扱いに長けている。ひとつ、俺は忙しい」

ウーリは更に口調を激しくして激昂した。

「俺だって忙しい! 我が国で軍事改革が叫ばれている今、すぐにでも戦場で魔術を専門的に扱える隊の設置を急がねばならないというのに、王室付きの魔法使いというだけで『自分だけが忙しい』という振る舞いをするのをやめろ。それに――」

 ここまで言って、ウーリは突然気まずそうに口籠った。彼は自分たちのやりとりをぼんやりと見守っている様子の幸太郎をちらりと見る。幸太郎はウーリと視線が合ったのを見て、首を傾げて見せた。

 するとリッツがウーリに「まあまあウーリよ……」と話しかけながら、彼の肩を抱き寄せた。幸太郎と顔を合わせない方向に一緒に顔を向くと、リッツはウーリと顔を見合わせる。リッツは声を潜めながら、北叟笑ほくそえんで言う。

「この無自覚な魔人を我々の手で育て上げれば、将来の味方を増やすことが出来る。敵に回ったとしても、手の内を知り尽くした相手だ、倒すことは容易い」

ウーリはリッツの言葉を聴きながら、相手がニヤニヤ笑いながら恐ろしい話をしていることに戦慄した。ゾッとして、自分の頬に冷や汗が伝うのを感じる。リッツは話を続けた。

「なあに、いざという時は奴の契約している悪魔を奪い取ってしまえば良いだけのこと。俺が魔人になろうとも、誰も悪い顔はしないだろう?」

ウーリはすっかり身体が凍り付いたようになってしまった。リッツから顔を背けたいが、それは出来なかった。ゴクリと唾を飲み込む。

 すると打って変わって普段通りの笑顔になったリッツが、ウーリの肩をばしばしぶっ叩きながら笑い声を上げた。

「どちらにしろ、自分の隊を持つのであれば、その分の人間を教育しなければならない。魔力の豊富な悪魔憑きのひとりも一人前にすることが出来ないようでは、それは夢のまた夢となるだろう。どうだ、やる気にになったか?」

ウーリは溜息を着いた。後頭部を掻きながら言う。

「仕方ない。お前の言うことにも一理ある。カンジキとやらに魔術の実践的な手法を指導すれば良いのだな?」

「そうだ」

 リッツは首肯すると、幸太郎に向かって「来い」という仕草をした。

「コウタロウ、彼がお前に魔術を指導するウーリだ」

幸太郎は使用人たちの空けた道の間を通ってふたりの元へやって来た。ウーリの顔を見上げる。

「初めまして、ウーリさん。神喰幸太郎と申します。ご指導よろしくお願いします」

ウーリは幸太郎を苦い表情で見下ろした。

「……カンジキよ。貴方はいつもそうやってフルネームを名乗っているのか?」

幸太郎は常識だと思っていたことに疑問を呈され、首を傾げた。

「そうですが……何かまずいことでもあるのでしょうか?」

ウーリが冷徹な口調で答える。

「他人に名前を知られることは、魂を捕まえられることに等しい。魔術を扱う者はそれを厳に警戒する。名前を知られて良いのは、親類や師匠、雇い主くらいだ。お前も魔術を学ぶなら、今後みだりにフルネームを名乗るのは慎むべきだ。大変破廉恥だぞ」

「分かりました、今後気をつけます」

 ふたりの会話が終わったのを見て、リッツが言った。

「では実践の前に魔術を扱う者としての心構えを俺から教えよう。使用人に案内させるので、講堂で待っているように」


   *


 そこは講堂というより、教会の礼拝堂にも似ていた。

 講堂内には教壇に向かって座席が設えられていたので、幸太郎は適当に前からも横からも真ん中の席に着く。彼はホッと息をつくと、室内を見回し始めた。

 講堂内は薄暗い。教壇――というより祭壇に見える――にはキリストの十字架の代わりに、胸部から腹部にかけて多くの乳房のある、槍を携え兜を被った勇ましい印象の女神像が祀られている。講堂の最奥部の天井にある窓からは光が差しており、それが女神像を神々しく照らしていた。

 突然、講堂の出入り口の扉が開閉する音が大きく響いた。幸太郎は全く油断していたせいか、思わずびくりと飛び上がった。背後を振り向く。

 すると出入り口で真っ黒い人影がゆらりと揺れるのが見えた。明るい方へ進み出る人影。人影が進むのに追従するように、天井から下がった照明が灯されて行く。幸太郎の近くに寄ってきた辺りで、彼にはその人影がやっとリッツであるのが分かった。

 リッツは何時もながら、頭の上から足の先まで濡羽色で統一された衣装を着ていた。ただ今回は、自分が魔法使いであるのを誇示したいのか、頭の上には三角帽子を被り、小綺麗に整えられたマントをなびかせ、握りだけに白い石を使った杖――幸太郎にはそれが、いつか異端審問官によって捕らえられ、拷問を受けた時に使われたものに似ているように思われた――を携えている。その上革のブーツを踏み鳴らして歩くものだから、余計に芝居がかって見えた。

 リッツは教壇に登ると、お手本のような回れ右をし、幸太郎のほうを振り向く。そして講堂全体に響き渡るように呼び掛けた。

「魔力を扱う者と云うは、此の世と彼の世のあわいに立つ者を云う也!!」

幸太郎はこの言葉に、目を見開いてリッツに注目した。自然と背筋が伸びる。

 リッツが続けて言った。

「中でも魔術師と云うは、魔力を扱い、此の世の成り立ちを探る者を云う。魔法使いはその先頭に立ち、此の世と彼の世の調停と司る者である」

リッツはゆっくりと幸太郎のほうへと歩みを進めて来る。

「ところで、魔女Hexeとは、古くは〝垣根の上を飛ぶ者〟を意味した。柵や垣根はムラと野生の境界を象徴するものなのだ」

リッツは幸太郎の側までやって来ると、彼の肩をガッツリ捕まえた。「コウタロウ……」と低い声で幸太郎の眼前に迫る。

「お前には垣根を飛び越えて向こう側へ行く資格がある。境界を飛び越えよ、〝ファウスト〟」

 幸太郎は〝ファウスト〟と呼ばれて訝しげに首を傾げた。〝ファウスト〟という言葉をどこかで聞いたことがあった気がしたが、けれども思い出せない。幸太郎はリッツに呼ばれたままに聞き返す。

「〝ファウスト〟って何ですか?」

「お前の新しい名前だ」

リッツがきっぱりと即答する。

「俺が〝リッツ〟と、ウーリが〝ウーリ〟と呼ばれているように、これからお前はファウストと呼ばれるようにしろ」

「はい、ありがとうございます……?」

幸太郎はぼんやりとそう返したものの、しっくりとは来ていなかった。新しい名前とは言うものの、唐突に付けられた上に、慣れない横文字の名前であった。

 しかし、一方のリッツはこれで満足したらしく、スッと幸太郎から離れた。

「さて、俺からはとりあえず魔術を扱う者としての心構えを教えた。これからもこの言葉を忘れないように精進しろ」

「はい」

「ではウーリの元へ行き、魔術の実践的な手法を習え。彼は演習室に居るはずだ」


   *


 「失礼します」

そう言って演習室に足を踏み入れた幸太郎は、ウーリがどこに居るか確かめるべく、周囲を見回した。

 最初に連想したのは、高校の理科室と美術予備校のアトリエだった。教室というより、工房に近い。薬品を扱うためのビーカーやフラスコ、蒸留を行う設備など、科学実験に使うような器具が一式揃えられている。他にも村の街道に建ち並んでいた店の一角でも売られていた薬品の瓶の数々や宝石の原石の塊、球体関節人形などが壁際に所狭しと置かれていた。部屋の中央では大きな炎が焚かれており、それが部屋中を明るく照らしている。

 幸太郎はこれに似た風景を描いた絵画を何処かで見た気がした。確か、ジョセフ・ライト・オブ・ダービーの『リンを発見する錬金術師The Alchemist Discovering Phosphorous』だったか――

 そんなことを考えていると、焚き火の向こう側にウーリの姿が見えた。彼は焚き火の明かりを頼りに、小さな作業机の上に燭台と蝋燭を立てている。幸太郎と焚き火の向こう側のウーリの視線が合う。

「来たか」

ウーリは訊ねる。

「名前は貰ったか?」

「はい」

幸太郎はウーリのほうへと歩み寄りながら、どこか他人事のように答えた。

「え〜っと、ファウストだそうです」

「ファウスト――」

ウーリは眉を顰めた。幸太郎から視線を逸らすどころか、そっぽを向く。

 しばらく首をひねってウンウンうなった後、ウーリは再び幸太郎と向き合って言った。

「ファウスト、ファウストね。改めて宜しく、ファウスト」

 ウーリはお次に、幸太郎の手元に始まって頭の上から足の先まで眺める。

「ところで杖は作らないのか?」

「杖」

幸太郎は今言われて初めて気付いた様子で「あっ、杖!」と驚きを口にした。

 確かに、魔法使いと言えば魔法の杖である。小学生の頃から小説で慣れ親しみ、映画化される毎に観に行ったハリー・ポッターでも杖が重要アイテムとして登場した。魔法には杖が必要なはずだ。

「そうですよね……リッツさんからは何も言われてなくて……やっぱり杖が無いと魔法は使えないですよね」

「いや、杖が無くても魔術は使える」

自身の認識をきっぱり否定するウーリの発言に、幸太郎は目をしばたいた。

「えっ、そうなんですか?!」

 「確かお前の生業は画家だと聞いたが……?」

突然ウーリが話題を変えたので幸太郎は首を傾げた。ただ一応は画家としてこの時代を生きて来たつもりではあったので、ウーリの問いにゆっくり首肯する。幸太郎が首を縦に振ったのを見て、ウーリは続ける。

「ならば絵画を描く時に画家は筆を使うが、筆を使わなければ絵画が描けないわけではないだろう? 絵画を描くのに必要なのは絵の具であって、筆の存在は問題では無いはずだ。魔力が魔術にとっての絵の具で、杖が魔術にとっての筆なのだ。杖は魔力を意識するための道具に過ぎない」

「では魔力を意識出来れば杖なんて必要無いと言うことですか?」

幸太郎から投げ掛けられた問いに、ウーリは首肯して答える。

「そうだ。今回は魔力を意識するための訓練を行う。杖を作って使うにしろ、魔力を意識出来なければ何も出来ないからな」

 ウーリは火の点いていない蝋燭の載った燭台を幸太郎の前に差し出した。

「最初の訓練だ、ファウスト。この蝋燭に火を灯してみろ」

言われて、幸太郎はたじろいだ。ウーリの言葉は長さこそあったが、十分な説明を受けた気がせず、腰が引ける。

「えっ……いきなりですか?!」

ウーリは幸太郎が驚いているのを見て眉を顰めた。

「何を驚く。魔術師の子弟なら蝋燭に火を灯すことくらい朝飯前だぞ。だいたい、お前は悪魔憑きなのだから、そこらへんの子弟より強い力を持っているはずだ」

幸太郎はウーリが余りにも説明してくれないことに困惑した。

「いや、でも、せめて……」

彼は師匠からヒントを頂戴しようと、ヒントになりそうなものを自分のファンタジー知識から絞り出す。

「呪文とか……」

呪文Zauberspruchに決まった型は無い!」

ウーリは容赦無くきっぱりと言い放った。

「呪文は術者が術のイメージを文言に表現することで、術の確度を上げるためのものだ」

彼はそう言うと、腕組みをして嘲笑し、そっぽを向いた。すぐ近くにあった椅子に腰掛ける。幸太郎は、ウーリが一瞬、冷たい視線を投げ掛けて来たように感じた。

 幸太郎は意気消沈して深く溜息をついた。頭を抱えながら目を閉じる。

 その瞬間、彼の頭の中に山羊が高らかに鳴く声が響きが渡った。嘲笑あざわらうようなその声に幸太郎が眉をしかめると、悪魔のささやきが彼に聞こえた。

(お困りのようですねえ)

幸太郎は悪魔の声を振り払うように、耳の横で手を振り回す。

(集中してるんだ、邪魔すんな)

だが悪魔の声は幸太郎から遠退くことは無かった。平然として幸太郎にささやき続ける。

(貴方には惜しみ無く魔力を注いでおります。絶えず自らの母語でドイツ語話者たちとコミュニケーションを取れているのが、何よりの証拠です。それでも有り余る程の力を私は持っています。魔法だって、あのローゼンクランツとやらや、そこに居る者よりも熟達し、強力なものも扱えます。魔法・魔術のことでしたら、真っ先に私に訊ねてくださればよろしいのに!)

(誰がお前なんかに!)

幸太郎は今度は首をぶんぶん振った。

(今まで何も教えてくれなかったくせに、都合の良い時だけ口出しして来やがって……)

(まあそう言わずに)

悪魔は開き直った様子で続ける。

(だいたい、呪文だって何だって良いんですよ。例えば……「テクマクマヤコン」とか)

悪魔が口にした呪文が、昔ながらの魔法少女アニメのものだったので幸太郎は驚いた。

(『ひみつのアッコちゃん』じゃん! そもそもの用途が違うだろ、変身したいんじゃないんだよ)

(じゃあ、「リリカルマジカルレナナーレ」とかですか)

(それは『それいけ! アンパンマン リリカル★マジカルまほうの学校』か!)

それは未だ幼い頃、衛星放送で放送されたのを録画し、繰り返し観たアニメ映画であった。

(いや僕じゃその呪文は使えないだろ、リリカちゃんじゃないんだから……)

悪魔も面白くなってきた様子で、次の呪文の例を繰り出した。

(「ピリカピリララ ポポリナペペルト」)

幸太郎は半ば呆れて来ていた。

(それだって『おジャ魔女どれみ』の春風どれみちゃんの呪文じゃねーか!)

幸太郎はとうとう頭に来て、頭の中の悪魔に向かって怒鳴り散らした。

(だいたい何で魔法少女アニメの呪文ばかり提案して来るんだ! 実際使えたところで毎回元ネタが浮かんで魔法どころじゃないだろ! もっと真面目に考えて教えてくれよ!!)

 そうしていると、ウーリが立ち上がった音がした。幸太郎が目を開けて彼のほうを見ると、溜息をついて近付いて来るのが見えた。穏やかな声で幸太郎に言う。

「どれ、貸してみろ。これからお前に手本を見せてやる。これを参考にしてやってみろ」

幸太郎は安心してホッと息をついた。

「あっ……ありがとうございます」

 もう面倒な悪魔の相手をしなくても良いのだ。そう思って、幸太郎はその場を退いた。

 ウーリが幸太郎と入れ替わるように蝋燭の前に立つ。一息ついて、蝋燭の前に手をかざす。蝋燭の先を見つめて彼は言った。

呪文Zauberspruchとは、使う術を想像するためのものだ。今から自分がどのような術を使うのかを文言にすることによって、発動する術の確度を上げることが出来る。大切なのは、想像力だ

 ――大切なのは、想像力。

 幸太郎はこの言葉を、心の中で復唱し、反芻した。

 ウーリは続けて言う。

「画家を生業とするならば、その力があるはずだ。これを見て、よく習え」

そうして、ウーリは詠唱を始めた。

「――火よ、

 ――四大元素の第一の火よ、」

それはただ唱えるというより、歌うことに似ていた。

「――文明をもたらしたプロメテウスの火よ、

 ――罪を浄化する聖なる火よ」

 ウーリのテノールの歌声に合わせて、周囲で火花が小さく輝いた。幸太郎はウーリの詠唱に感動して打ち震えている。

 「――ベルリンの〝運命の輪〟の名に於いて、我エーベルハルト・ウルリッヒ・インゴルフ・ヴァイス・フォン・シャルフェンベルクが命ず、

 ――この蝋燭の先に煌々コウコウとした明かりを灯せ!」

ウーリは詠唱を終えると同時に、蝋燭の前にかざした手をそっと持ち上げた。彼の手の動きと同じに蝋燭の先が発火し、火の先が伸びる。幸太郎は蝋燭の発火の際の「シュボッ」という音に、思わず驚き、身を震わせた。

 ウーリは再び一息つくと、蝋燭の火を手で勢いよく風を吹き付けて消してしまった。そうして幸太郎のほうを振り向いて言う。

「これが俺の術だ」

彼は自分の背後に居た幸太郎の背をそっと押す。

「さあ、やってみろ」

 幸太郎はウーリの言葉を聴き、手本を見ても、未だに自分に魔法が使えるか信じられずにいた。しかしウーリが「大切なのは、想像力だ」「画家を生業とするならば、その力があるはずだ」と言うならば、きっと出来るのだろうと思った。

 幸太郎はウーリの動作を真似て、蝋燭の先に向けて手を差し出した。火を想像することを心に念じながら、瞑目する。

 ――まず最初に想像したのは、実家の仏壇の前で正座する自分だった。細くて短い蝋燭を燭台に立てて、点火棒で火を点けようとする自分であった。

 ――次に思い付いたのは、乾麺を茹でようと、鍋に水を満たし、ガスコンロに点火しようとスイッチを回す自分であった。

 ――また次に思い浮かべたのは、東京に居る自分であった。思うように作品を作ることが出来ず、腹が立って初めてコンビニで適当な紙タバコを購入したのだ。店を出てすぐに灰皿の有無も確認せず、喫煙しようと紙タバコを早速取り出し、ライターで火を点ける自分を思い浮かべた。

 だが幸太郎は結局、そのどれにも納得がいかなかった。今の幸太郎は違う世界、違う時代にいる。それらの思い出は、遠い昔のものであった。

 幸太郎は首を傾げた。眉を顰めて、小さく唸る。

 その時であった。

(炎……厭ですねえ……)

鳴りを潜めたと思っていた悪魔が、幸太郎の耳元で小さくささやいた。悪魔のささやきに、幸太郎がこの世界・この時代に転移して来た時のことがありありと思い出される。

 ――像を残して逆に回りだす、壁掛け時計の針。

 ――ダリの絵画のそれのように溶解する、壁掛け時計。

 ――流れ落ちながら顔料の粉末と溶剤であった油とに分離する、部屋の隅に押し込められていた油絵の習作に使われていた絵の具。

 ――急激に勢いよく燃えながら容量を増す、テーブルの上にあった灰皿の中の煙草の山。

 ――そこへコップやペットボトル、缶から溢れた内容物が合流し、激しく燃え上がる。

 ――炎上に巻き込まれる、幸太郎の身体。

 幸太郎は唐突に目を開けた。

 その瞬間、蝋燭の先が爆発した! 爆風が広がり、周囲の物品が音を立てて落ちたり、揺れて鳴ったりした。

 一方、幸太郎は炎が大きく燃え上がるのを見て、慌てて手を引っ込める。彼は腰を抜かして背後に倒れた。

 一部始終を見守っていたウーリすらも、驚愕に目を丸く見開いている。衝撃を防いでいた腕の構えを解くと叫んだ。

「何を想像したんだ、お前?!」

訊かれた幸太郎は尻もちを着いて呆然としている。冷や汗をかきつつ肩で息をしながら、ウーリと顔を見合わせた。

「あ、あの……」

 ウーリは舌打ちすると、壁に立て掛けておいたらしい、しかし床に倒れている自分の杖に手を向け、「杖よ来たれ!」と怒り口調で命じると、今度は幸太郎に向かって言い放った。

「いいから、お前は次の訓練までに自分の杖を作れ! 杖無しで訓練はしない! 良いな!!」

「とりあえず、この場の片付けを――」

混乱しながら場を取り繕おうとする幸太郎に、ウーリは再び怒号を発する。

「否! 何もしなくていい! 触るな! くこの部屋から出ていけ! 早く杖を作って来い!」

 そう言うと、ウーリは杖――握りの側が短銃ライフルの銃床のような形をした、銃剣道で使用する木銃そのもののような形をしている――を振り回しながら、美しく激しいテノールボイスで詠唱を始めた。物が動いているのか、擦れ合う音がする。

 幸太郎は黙って演習室を後にした。

 彼は謝ることも、復旧の手伝いもさせて貰えなかったことに心を痛めた。しかし一番悔しかったのは、ウーリの美しい詠唱とそこから発生する魔術の様子を、間近で観察出来なかったことであった。

  • この作品は書き下ろしです。
  • 2023/09/15:加筆修正しました。

第六幕後篇:杖の儀式

 「何もしなくていい! 触るな! くこの部屋から出ていけ! 早く杖を作って来い!」

幸太郎は先程ウーリに言い放たれたこの言葉を、繰り返し回想し、反芻し、再生しながら、演習室の扉の前で呆然と立ち尽くしていた。謝ることも出来なければ、復旧の手伝いもさせて貰えず、その上ウーリの美しい魔術も見せて貰えないことに、自分でも意外な程傷付き、混乱している。

 しかし幸太郎に呆けている暇は与えられなかった。彼が立ち尽くしているそこへ、足音が近付いて来たのである。

 その足音の主が、ゆっくりと言い聞かせるように訊ねて来た。

「――演習室で爆発音がしたが、何かあったのかね?」

幸太郎は背後から声がしたことに驚いて振り返った。幸太郎が見るに中年らしい男性が、幸太郎と演習室の入り口とを覗き込んでいる。

 その中年男性は白髪の多く混じった長髪を首元で束ね、少なくともフンボルトやリッツの同時代人たちからは〝一昔前のファッション〟だと嗤われそうな、フロックコートにブリーチズ、そしてストッキングといったスリーピーススーツを着ていた。全体的に細身で骨張っており、白髪混じりで、目元にはもう誤魔化せないほどの深い隈がある。更に――これは幸太郎も同様だが――眼鏡を掛けており、頭の上から足の爪先まで灰色をメインとしたモノクロカラーで服装を纏めているところから、幸太郎の目にはこの中年男性が抜けない疲れを抱えているように見える。

 幸太郎は初対面の人物に訝しがられているのを察した。中年男性の表情が怒っているように見えて怖い思いを覚えながら、彼は言葉に詰まりながら答えた。

「えっと……蝋燭に灯りを点けようとして、爆発を起こしてしまいました。今はウーリさんが部屋の片付けをされています……」

中年男性はますます顔をしかめた。

「蝋燭に灯りを点けようとして爆発させたのか? それで片付けをウーリに任せて来たと言うのか? お前がか?」

相手が更に怒りを増しているように見え、幸太郎は怖気付いた。相手の機嫌を損ねないように、慎重に言葉を選んで返す。

「任せて、と言うか……追い出されてしまったんです。〝杖を作らないと訓練しない〟と言われて……」

「ウーリがお前の訓練を?」

そう言うと、中年男性は合点が行った様子で手を打ち合わせた。

「ははあ、お前か! リッツが連れて来たという悪魔憑きは!」

「はい、そうです!」

相手が一応は自分のことを知っていることが分かり、幸太郎は思わず大きな声で返事をする。

「僕はカ――」

カンジキ、と言おうとして、幸太郎は口を閉じた。自分の本名をみだりに話してはならないというウーリの言い付けが、頭をよぎったのだ。言おうとした言葉を飲み込んで、彼は名乗り直す。

「えっと、ファウストと言います」

「〝ファウスト〟!」

中年男性がニヤリと笑った。

「ご大層な名前を貰ったものだ。どうせリッツから貰ったんだろう?」

「はあ……」

幸太郎は眉をひそめた。

 先程ウーリに自分の貰った名前を教えた時にも、相手が奇妙な反応をしたのを、幸太郎は思い出した。彼は自分の名前の意味が分からないことを、もどかしく思った。この〝ファウスト〟とか言う名前には、一体どんな意味が込められているのだろう。

 中年男性は幸太郎を見てニヤニヤ笑ったまま、話を続ける。

「それで、面倒を見ろと言われたウーリも、お前さんが魔術を行うのは初めてだったにも関わらず爆発なんて起こすから、ビビって追い出してしまった……そんなところだろう」

 幸太郎は今度は目をぱちくりとしばたいた。てっきり、ウーリは幸太郎があまりにも魔力や魔術の扱いが下手過ぎて、すっかり呆れられていたと思っていたのだ。

 中年男性はくっくと小さく笑って言った。

「それで何と言っていたか……〝杖を作らなければ訓練しない〟とウーリに言われたのだったね?」

「あ、はい、そうです」

幸太郎は頷いた。

「だから自分の杖を作らなければいけなくて――そもそも杖って作るものなんですか? 既製品があるわけではないということですか?」

「例えばだね――」

そう呟きながら、中年男性は上着のポケットから杖をずるりと引き出した。

 幸太郎はそれを見て、目を丸くした。どう見ても小物が入る程度のサイズのポケットから、歩行杖の代わりになりそうな長さのものが取り出されたのである。

 中年男性の杖は、幸太郎の考える魔法使いの杖に近い形をしていた。仙人や隠者が持つ杖そのものの形に、蔦のようなものが巻き付けてある。

 中年男性はその杖を軽く振りながら、構わず続けた。

「これは私の杖だ。我が家は代々医者を生業としていてね。それ故に〝アスクレーピオスの杖〟であるところの〝カドゥケウス〟に似せて作ったのだ」

 幸太郎は中年男性の説明に疑問を抱いた。ギリシャ神話に登場するアスクレーピオスとその杖のことは、デザインに関連する事柄なので、何となく知っている。しかし、〝アスクレーピオスの杖〟の名前として〝カドゥケウス〟が出て来ることに、どうしても違和感が否めない。けれども幸太郎にはそれを指摘出来る程の知識は無かった。

 中年男性は、相変わらず幸太郎の様子を気にも留めていない様子で話を続行した。

「形はこんなに凝ってなくても、使う者が使い易ければ何でも良いだろう――もしお前さんが良ければ、私が村の材木屋に案内するが、どうかね?」

「ありがとうございます!」

幸太郎は表現を明るくした。先程怒られたばかりなので、親切にされたのが嬉しかったのだ。

「では外出することをリッツさんに伝えて来ますので、少しお待ちください」

「いやいやいやいや!」

中年男性は幸太郎が言い切らないうちにさえぎって言い放った。

「そんなことはしなくて良い。私が代わりに伝えて来よう。どうせリッツは忙しい。お前さんは外出の準備をして来なさい」

幸太郎は中年男性の急ぐような態度を少し訝しんだが、しかし好意に甘えることにして「分かりました」と答えた。

「では外套などを取って来ます。玄関ホールでお待ちしていますね。ええと――」

ここでやっと、幸太郎は男性の名前を聞いていないことに気付いた。男性自身も名乗っていないことに気付き、やっと自分の名前を口にする。

「ジギだ」


   *


 幸太郎がジギに連れられてやって来た材木屋は、幸太郎の思う現代のホームセンターの資材コーナーのそれでは無く、どちらかと言えば商店街の八百屋が野菜の代わりに材木を扱っているイメージに近かった。多種多様な色や木目の丸太や材木が店先に並んでおり、店の奥からは丸太を切り揃えたり、削ったりしている音が絶えず聞こえる。新鮮な木の香りに、幸太郎はこの店は常に新築の家の香りがするのだろうと思った。

 この店の奥に向かってジギが呼びかける。

「おい、店主はいるか?」

すると間もなく、口元に布を巻き付けた店主らしき男性が出て来た。

「はいはい、何か御入り用ですか?」

彼が巻き上げて来た木屑の埃に鼻をくすぐられ、幸太郎は思わずくしゃみをする。そのくしゃみの方向を見、幸太郎の姿を見た店主は腰が引ける、を通り越して小さく飛び退いた。それを見た幸太郎も釣られて跳ねる。

 ジギは彼らの様子を見比べて、肩をすくめた。

「何やっとるんじゃ? お前らは……」

店主はジギの隣に近寄って、耳打ちして訊ねた。

「ジギ様、この悪魔憑きは一体なんなんです?」

ジギは小声ではあったものの、耳打ちしないで返事する。

「鉄鴉亭の新しい弟子だよ。王妃陛下の御命令でね……今日は彼の杖を拵えに来たという訳だ」

ジギから少し距離を取って、店主は続ける。

「ではジギ様はリッツ様の代理で――」

「いや、私が勝手に連れて来たんだが?」

「ええっ?!」

自分の言葉をさえぎって放たれたジギの発言に、店主は再び飛び跳ねる程驚いた。

 それを聞いて、幸太郎はふたりのほうを向いた。ジギも店主が耳元で大声で叫んだので、ハエを追い払うような手付きで店主を追い払う。

「いきなり耳元で叫ぶな! やかましい……」

「すみません……」

店主はジギから離れると、しかし心配そうに再び質問した。

「でもそんなことをして、リッツ様に怒られないんですか?」

「知らん」

ジギはキッパリと言い放った。

「だがあいつとて、この悪魔憑きのことをあまり周囲に漏らさないようにしている。何か企んでいるかも分からん。あいつが私に何か言ったとて、お互い様と言うものだ」

ジギは店主を安心させようと諭しているようだったが、しかし店主は訝しげに首を傾げて「そうですか……」と言うのみであった。

 「さて」

とジギが手のひらを打ち合わせる。

「説明は終わりだ。商談に入ろうじゃないか。この新入りに向きそうな材木を見繕ってくれ。勿論、ニワトコの材木も忘れんでくれよ」

「ああ、はい、分かりました……」

店主はそう言うと、未だにモヤモヤと思考を巡らせながら、再び口元に布を巻いて店の奥へと戻って行った。

 その背中を見送りながら、幸太郎はジギに話しかける。

「店の人と何を話していたんですか?」

「さあ?」

とジギは首を傾げた。

「何も大したことは話してないぜ」

煮え切らないジギの答えに、幸太郎は追及はせず、少し表情を曇らせた。ただ、先程もリッツとウーリの会話でも仲間外れにされ、内容を教えてもらうことすら出来なかったので、この魔法使い・魔術師たちを怪しむ心を感じ始めていた。

 そうこうしている間に、店主が手頃な大きさの丸太の束を抱えて戻って来た。

「お待たせしました。これがニワトコで――」

そう言いながら、店主は丸太を一本一本、近くの作業机の上に置いていく。

「それと今ウチにあるオススメの材木ですね」

幸太郎はニワトコの材木を指して、ジギに訊ねる。

「そう言えば、ニワトコの材木を名指しで要求していましたよね? ニワトコは杖の重要な素材なんですか?」

「まさか鉄鴉亭のお弟子さんでありながら、ニワトコの重要さをご存じでない……?」

店主が驚いた様子で口にした言葉に、幸太郎は言い訳しようと口を開けようとした。しかしそれをさえぎるように、ジギが反論する。

「仕方ないだろ。リッツが肝心なことを教えないんだから……」

ジギは幸太郎に向き直って説明を始めた。

「ファウスト、ニワトコの樹は鉄鴉亭の当主であるリッツが仕えるプロイセン王家の守護霊である白婦人〝ベルタ様〟と縁のある樹木なんだ。彼女の加護を得るため、鉄鴉亭の者とその傘下の者たちは皆、杖の一部にニワトコの木を使ってる」

ジギは店主からニワトコの丸太を受け取ると、幸太郎に渡す。

「だからファウスト、お前も鉄鴉亭の弟子なのだから、杖の素材にはニワトコを少しでも使ったほうが良いぞ」

幸太郎はジギから丸太を受け取りつつ訊ねた。

「ジギさんの杖にもニワトコが使われているのですか?」

ジギは、また上着のポケットから杖を引き抜いて、幸太郎に見せた。

「ニワトコの他にも多種多様な樹木を使っている。お前の名前にも様々な由来や成り立ちがあるように、樹木にも様々な伝説やいわれがある。それらをかんがみながら、自分に合った杖を自ら切り出し、削って制作するんだ」

 幸太郎はそう言われて、手元のニワトコの丸太と、作業机に置かれた丸太たちとを見比べ始めた。杖と言っても様々な大きさや形がある。幸太郎が連想したのは、「ハリー・ポッター」に登場するような、長い筆のようなものと、老人たちが歩行の補助に用いるものだった。

 幸太郎が杖の形を考えていたその時、黙っていた店主が口を開いた。

「お客様がどのような魔術師を目指されるのかは分かりませんが……昔から魔術師が〝ガンドルを振る〟と申しますと、空中飛行を意味しました。ですから私どもは、長さをご自身がまたいでみて違和感の無いものにすることをお勧めしています」

やっと自ら店主らしいことをした店主のアドバイスを聞いて、幸太郎は

「はい、分かりました」

と答える。

 とりあえず今回作る杖の長さは歩行を補助出来るものに準じることにした幸太郎は、丸太を見比べるのを一旦止めて、代わりに周囲をキョロキョロと見回した。これからやる作業は木工や彫刻のそれに近かろうと考えた彼は、より自分が満足するものに仕上げるためには設計図を描くために必要なものを求めた。

「……すみません、筆記用具と紙はありませんか?」

ジギは、幸太郎が丸太たちの由来を何も訊いて来ないで設計図を描こうとしているのを見て訊ねる。

「もう使う材木は決めたのか?」

「これは僕の勘で選んだんですが――」

そう言って、幸太郎は作業机の上にあった丸太の一本を取り上げた。

「これはどうでしょう?」

取り上げたそれを、幸太郎はジギと店主に見せる。いきなり樹木の伝説やいわれを重視せよと言われても分からないので、とりあえず材木の状態や加工のし易そうな見た目で選んだものだった。

「ほーん……」

ジギは手を自分の顎に添えて微笑んだ。

菩提樹リンデンバウムか、良いんじゃないか?」


   *


 ふたりが材木屋からニワトコと菩提樹の丸太を買い取って鉄鴉亭に戻ると、ジギは屋敷の扉に向かって呼びかけるように叫んだ。

「ジギがファウストを連れて只今戻ったぞ!」

ジギの声に、屋敷の扉は錠を重たげな音を立てて開けることで応えた。リッツと共に初めて屋敷に足を踏み入れた時のように、使用人たちがこぞって集まって歓迎しに来たりはしなかった。それでも、ジギは勝手に扉を開けて堂々と屋敷に入って行く。幸太郎もジギに恐る恐る続いた。リッツの時と違って、何か悪いことをしたような気分であった。ジギはそんな幸太郎を見て笑った。

「そんなにビビらなくて大丈夫だぜ? 使用人が大歓迎するのは、屋敷の主人と王族と客人に対してだけだ」

 そうしていると、そこをウーリが通りがかった。

「ああ、帰ったのか。リッツがお前らの姿が見えないってカンカンに怒っていたぞ」

 ウーリがどうでも良さそうに話したそれを聞いて、幸太郎は顔を青くした。外出時にジギが、自分がリッツに外出する旨を伝えるからファウストは何もしなくて良いと言っていたが、ジギは黙っていたのだ。ジギに騙された、やっぱり自分がちゃんと伝えれば良かったと、幸太郎は後悔した。

 一方のジギと言えば、ウーリの警告を「またかい」の一言で済ませた。

 ジギは肩をすくめて幸太郎に言う。

「仕方ない。行こうぜファウストくん。執務室だ」

「あっ、待ってください!!」

ジギが躊躇無く歩き出したのを見て、幸太郎は購入した材木を持ったまま、慌てて付いて行った。


   *


 そこは執務室というより図書館や博物館に近い印象を幸太郎に持たせた。左右の壁の全面が本棚になっており、両方に移動式の梯子が掛けられている。しかしリッツの執務机の背後には、本ではなく、見るからに硬くて重そうな木製の車輪や、切っ先が平らな特殊な形状の剣などが、ガラス扉の付いた棚に飾られていた。他にも高価そうな皿やメダル、トロフィーなどの記念品が所狭しと置かれていることから、それらの車輪や剣も、リッツや彼の先祖の功績を称えるものなのだろうと幸太郎は理解した。

 それらに見守られながら、リッツは憤慨していた。彼は机を叩きながら幸太郎を指差し、顔を紅潮させ、唾を吐きながら怒鳴る。

「ファウスト! 俺の許可無く屋敷から出るな!!」

幸太郎はひたすら頭を下げて平謝りした。

「申し訳ありません!」

 彼は勿論、全部自分のせいではないと分かってはいた。しかし、一応はリッツの弟子だったので、怒らせて今後面倒なことになるのを避けたい一心で、とりあえず相手が機嫌を直してくれることを願った。

 「外出する前にちゃんと許可を得るべきでした。次からは必ず許しを得るようにしますので――」

「ファウスト、何故そんなに一生懸命に謝る?」

ジギが、また幸太郎が言葉を言い終えないうちにさえぎって言う。さっきから幸太郎が事あるごとに謝ってばかりいるのを不思議そうに続ける。

「大体、ファウストを勝手に連れ出したのは俺だぞ?」

リッツはジギを睨め付けた。

「またお前かよジジイ、良い加減にしてくれ。他人の弟子に勝手に物事を教えるんじゃない! 俺は俺の考えがあって、これを〝教育〟しているんだぞ」

ジギもリッツと同じく怒り口調になって反駁する。

「お前の〝教育〟って何だよ? 少なくともお前のは〝教育〟じゃなくて〝洗脳〟としか思えないぜ? それとも何か? 魔人や悪魔を利用するためなら、そんな手も厭わないということか?」

 幸太郎はジギの発言を聞いて、思わず緊張感みなぎるふたりの顔を見比べた。リッツは未だに悪魔を利用することを諦めていなかったし、ジギは既にそれを看破していたのだ。しかし幸太郎の脳内には疑問が残った。彼は心の中で悪魔に向かって呼びかける。

(おい悪魔。〝魔人〟って何だ?)

悪魔はキッパリと答えた。

(〝魔人〟とは、悪魔と契約して魔力を得ている者のこと――)

それを聞いて、幸太郎は血の気が引き、背筋が凍る思いがした。悪魔が嗤うような声色で付け足す。

(つまり、貴方のことですよ)

幸太郎は、自分がまるで人間ではない、得体の知れない何かになってしまった気がした。

 そんな幸太郎本人そっちのけで、リッツとジギは口論を続けている。リッツが先程のジギの問いに答えた。

「そうだよ! お前も知っての通り、我が家は空前の灯火だ。かの〝狂女〟ロッテヒェンが家系に脈々と継がれて来た魔力を使い果たしてしまったせいで、俺の元にはほとんど何も遺ってない! そのせいで母方を含めた他の一族にも見放されてるんだ。我が家に箔を付けるために、自分の力の使い方も分かってない魔人を利用して何が悪い?!」

ジギも負けじとリッツの主張に反駁する。

「悪いだろ! お前が鉄鴉亭の家系を立て直したいのは分かる。傘下の者としてもそれには協力したい。だが、お前の意見には賛成しかねる! 本来、悪魔と魔術師・魔法使いは交わるべきでない存在だった。そんなものを王家と契約した魔法使いが利用したらどうなる? 今度こそ家系の没落を免れないぞ!!」

ジギの反駁を受けて、急にリッツは態度を変えた。なよなよと媚びるようにジギを見上げて、リッツは言い返す。

「何でそんなこと言うんだよ? 俺の兄弟子なら、俺のやりたいことも分かってくれるんじゃないの?」

「それがお前のやって来たことの始末だろうが」

ジギはリッツを真顔で見下げて、キッパリと言った。

「もっと上手いやり方を使わないお前が悪いよ」

リッツは舌打ちした。

 それを見て、ジギは溜息を吐いてから言った。

「そうだ、お前が相当カッカしていたから言うのを忘れてたんだが――俺たちはファウストの杖の材料を見繕いに行ってたんだ。お前が一応師匠なんだから、弟子の趣味を確認してやれよ」

リッツは口をすぼめながら胸の前で腕組みをして「仕方ないな……」と呟いてから、幸太郎に向き直って言う。

「ファウストよ、いつでも悪魔を譲ってくれて良いんだぜ――ほら、材木を見せてみろ」

「あっ、はい」

幸太郎はリッツの発言に怖気付きながら、リッツに抱えていた材木を差し出した。リッツは差し出された材木を一瞥して言う。

「……これはニワトコだな」

彼はもう一本の材木に目を移す。

「こっちは何だ? ジギもウーリも使ってないやつだよな?」

「そっちは菩提樹リンデンバウムだ」

リッツはジギの答えに何度も首肯しながら「あー……菩提樹リンデンバウムか……」と呟いて、にわかに菩提樹の由来を説明し始めた。

「菩提樹は古くから女神フレイヤに縁のある聖なる樹とされていた。俺としては女神との関わりはどうでも良く、雷避けや、梨や樫と並んで集会場の目印とされて来たことに意味があると思うね」

「へえ〜、そうなんですね……」

幸太郎は、自分の選んだ材木の由来を今初めて知った。本当に勘で選んだので、そんな由来があったのかと、それなりに感心した。

 リッツは幸太郎に丸太たちを返しながら言う。

「では〝杖の儀式〟の日程を決めよう。詳細は後日決めることにするが、幸太郎、お前は大体一週間後を目安に杖の形を完成させるようにしろ」

また新しい単語が登場したので、すかさず幸太郎はリッツに訊ねた。

「〝杖の儀式〟とは何をする儀式なのですか? それに、『杖の形』と言うことは、杖は材木の形を整えて完成というわけではないということですよね?」

「お前の察する通り――」

とリッツは答える。

「杖は使う者が自ら削って形を作って完成じゃない。〝杖の儀式〟を経て、初めて杖が杖として働くようになるのだ」

幸太郎は、リッツの表現がぼんやりしていてよく分からず、首を傾げた。ジギが見かねて彼に説明する。

「ファウスト、〝杖の儀式〟というのはだね、材木を使用者が削って整えて杖の形にした後、魔法や魔術の先達が使用者の身体の一部を杖の芯とし、祝福を施して真に完成させるものだ」

『身体の一部』と言われて幸太郎は怖気付いた。リッツやジギの身体に欠けた部分がないか観察し、「『身体の一部』というのは……?」と訊ねる。リッツは嗤った。

「そんなにおっかなびっくりすることじゃない。爪や髪の毛を少し切って使うだけだ」

 幸太郎は胸を撫で下ろした。日本のヤクザか何かのように、指を詰める様を想像して損したと思った。

 ジギも追って説明をする。

「魔法使いや魔術師の身体には、術が使われる時以外でも魔力が籠っている。それらを芯にすることで、杖も身体の一部とし、術を更に扱いやすくするんだね。まあ、大抵の場合は髪の毛を使うかな」

幸太郎は首肯して「なるほど……」と呟いた。

「そういう訳だ」

リッツが言う。

「当日はルイーゼ王妃陛下にも立ち会って頂くから、そのつもりでいろよ」

それを聞いて、ジギが幸太郎の背中を叩いた。

「すごいじゃないか、ファウスト! 我ら〝プロイセン魔術界御三家〟と同等の扱いだ。気を引き締めていけよ」

ジギの激励に、幸太郎は急に緊張を覚えた。苦笑いを浮かべて答える。

「はい、頑張ります……」


   *


 幸太郎は未だにフンボルト家の居城・テーゲル城に居候していた。壁にはいくつかの作品が飾られている他、多くの作品が重なって壁に立て掛けられている。また、ベッドの反対側にイーゼルが立っており、制作中の油絵が描かれたカンヴァスが掛けてあった。

 しかしそれらははっきりとは見えない。殆ど夜の闇に包まれてあり、燭台の上の蝋燭に灯った火によってほのかに照らされていた。

 部屋は闇と蝋燭の灯りと、部屋の主人である幸太郎がナイフで材木を削る音に支配されていた。

幸太郎は独りで黙々と材木を削り、作業を進めている。途中、時折材木屋の店主に『〝ガンドル)を振る〟と申しますと空中飛行を意味し』たと言われたのを思い出し、材木にまたがって座り心地を確かめてみた。しかしまたがるたびに、杖はまたがるための形状をしていないことを思い知り、怪訝そうに首を傾げるのだった。

 そうしていると、突如として幸太郎の耳に山羊の嘲笑するような鳴き声が響いた。幸太郎は思わず耳をふさぐが、それで山羊の声は抑えられなかった。鳴き声の後に悪魔が嗤いながら話し掛けて来る声が続く。

「まさか本当に魔術師や魔法使いが、杖で飛行しているとお思いなのですか?」

「いきなり話し掛けるんじゃない」

幸太郎は作業の手を止めなかったが、しかし嗤われているのが気に入らず、怒り口調で返した。

 「で、何? 杖で飛んでる訳じゃないなら、何で飛んでるの? ……まさか、〝飛んでいる〟というのはクスリによる錯覚だったとか?」

「おお、実に惜しいですな!」

悪魔は幸太郎が自分の言葉に応えたのが余程嬉しかったのか、上機嫌で饒舌になった。

「しかし、ここは魔法や魔術が本当にある世界、そんな残念な事実では無いのです。正解は、飛行を行う時に専用の魔法薬を股の間に塗り、その力で空を飛んでいた、です! 飛ぶだけなら薬の効果だけで充分なので、杖は無くとも良いのですよ。まあ、杖は己の魔力を安定して操作するためのものなので、あったほうが上手く飛べるのは本当のことですが――」

「ふーん……」

 そう興味無さそうに流した幸太郎は、しかし悪魔の答えを残念に思った。結局のところ、杖は魔法の補助器具に過ぎず、主役にはなれないのだ。

 そして、ふたりの間に沈黙が流れた。悪魔もこれ以上会話が発展しないのを見るや、だんまりを決め込んだのだった。

 けれども、しばらくすると、今度は「そういえば」と幸太郎のほうが口を開いた。

「前にウーリさんから魔法のやり方を習った時、何が大事と言われたか覚えているか?」

悪魔は幸太郎から話し掛けて来たのが嬉しいらしく、浮かれながら答えた。

「ああ、幸太郎様が誤って蝋燭の火を暴発させてしまった時のことですね! 確かあの者は『大切なのは、想像力だ』とかのたまっていましたねえ」

幸太郎は、悪魔がさも蝋燭の火を暴発させた原因が自分にあると主張するのを聞いて、不満に顔をしかめた。しかし自分が始めた会話であったので、仕方無く続けた。

「そうだ。僕はあの後、その〝想像力〟とやらについて考え直してみた」

 幸太郎は寝落ちを防ぐため、作業する手と同じに口数多く話し始める。

「〝想像力〟は一般的には『想像する能力』だとか、『想像する心の動き』といった理解だろう。具体的には、ここに居ない友達の顔を思い出す場合、『想像力が働いている』とひとは言う。小説家や漫画家みたいなクリエイターに対しても『想像力が豊かだ』と言うかも知れない」

 「幸太郎様は、『想像力が豊か』だと言われたいですか?」

自分の話しをさえぎって発せられた悪魔の言葉に、幸太郎は少し考えて答えた。

「……分からない。ただ『写真みたい』だと言われたことはあるけど、あんまり嬉しくは無かった気もする」

 幸太郎は溜息を吐く。「話しを戻そう」と言って、彼は再び話し出した。

「僕が大学で勉強したところによると、〝想像力〟は西洋思想史では否定的に捉えられて来た歴史があるらしい。〝想像力〟は『人間のなかのあの欺く部分』、『誤りと偽りとの主』……ってね」

 「でも幸太郎様」

と悪魔は再び幸太郎の話しに割って入る。

「あの魔法使いや魔術師の奴らは〝想像力〟を否定するどころか推奨していました」

「〝想像力〟の捉え方を変えるきっかけを作ったのは、ドイツ哲学者のカントだと言われている」

幸太郎は相手が悪魔だと言うことを、もはや気にしていないようだった。

「あのひとたちはその影響を色濃く受けているか、さもなければ考え方がロマン派を先取りしているのかも知れない」

「なるほど〜」

 幸太郎は話しを戻して続けた。

「で、哲学の一分野であるところの美学は、〝想像力〟を細かく分類している。超越論的想像力とか、経験論的想像力とか。実際には存在しない物事を想像したりする場合は〝空想力〟と呼んで区別される。多分だけど、ウーリさんの言う〝想像力〟とは、『記憶と経験を支えに像を思い浮かべること』と、今言った〝空想力〟の混ぜ合わさったものだろう。で、ここからが問題だ。つまり魔法とは、記憶と経験を糧に魔力という絵の具で以って描き出すものだと言うことだ――」

 ここまで多弁になっていた幸太郎は、急に大きく息を吐いた。手元の材木を削る手をも止めている。それを見て悪魔が訊ねた。

「幸太郎様、どうなさいました?」

幸太郎は嫌々ながら重々しく口を開け、ボソボソと呟く。

「……昔、桜と梅を描き間違えたことがあって――」

「桜と梅を?」

とても憂鬱そうに、幸太郎は答えた。

「中学生の頃、美術部にいて、新入生のために学校の楽しい様子を表現した大きな絵を、部員全員で描くことになったんだ。そのために誰の作品を本番の絵に仕上げるかコンペが行われて、僕の描いたものが採用になった。でも絵の細部まで確認された時、僕が曖昧な記憶で描いたせいで、桜だと思って描いたものが梅になっていたことを指摘されてしまって……」

すると幸太郎は、八つ当たりをするように手に持っていたナイフと材木とをブンブン振り回した。

「僕が想像力だと思っていたものの弊害だよ。『人間のなかのあの欺く部分』だし、『誤りと偽りとの主』であり、『まちがいと無秩序こそが想像力と呼ばれるもの』なの!」

 言い終えて初めて、彼は手に持っていたものを振り回していたことに気付いた。それらを見比べて顔を紅潮させながら、彼はまた材木を削り出した。悪魔はそれを見て、嘲り笑うように山羊の声で鳴く。

「では、今度は魔力で以って描くものを、完全に記憶し、経験しないといけませんねえ」

幸太郎はナイフを素早く動かしながら答える。

「そうだ。今度こそ、誰にも邪魔されないように、完璧で美しい火を灯してやる……!」


   *


 幸太郎は再び、ベルリン王宮のあの広間に立っていた。

 最奥部の壁にはプロイセン王家の紋章が描かれてあり、その下に玉座が設置され、それを守るように天蓋と幕が覆っている。天井を見上げれば鷲をモチーフとした装飾が施されており、そこから壮麗なシャンデリアが吊り下がっていた。床は様々な石材で模様が構成され、相変わらず一点の染みも許さない厳格さで光り輝いているのだった。

 そこで幸太郎は、ウーリやジギと共に、王室付き魔法使いであるリッツと、彼が仕えるプロイセン王妃ルイーゼとがお出ましになるのを待っている。

 幸太郎は以前に王城へ来た時と違い、この時のために仕立てられた最上礼装であった。煌びやかで、しかし上品に作られたであろう、刺繍の施されたフロックコートやブリーチズ、初めて履いたストッキングなどは、幸太郎の後見人を自負しているフンボルトが、特別に奮発をして発注してくれたのだ。側に立つふたりの衣装は、多分身分の高い人々の前に立つ時に備えて、小綺麗な状態に整えられた、とっておきのものらしく、ほぼいつも通りの内容であった。だからこそ、着慣れないものを着せられている幸太郎の緊張は、いつもより増幅されていた。

 彼は、この日の儀式のために持てる木工の技術を全力で注ぎ込んで仕上げたニワトコと菩提樹(リンデンバウムの杖を、汗ばむ両手で握りしめている。こうでもしなければ、ドギマギ、ソワソワして落ち着かない心地だった。それを見て、ウーリが口を開いた。

「どうしてそんなに緊張してる? お前は以前にも王妃陛下にお会いしたことがあると聞いたぞ。そんなに固まらなくても良いだろ」

幸太郎は苦笑いして返す。

「そうですよね。どうしても緊張してしまって――元々学校の教務室とか、先生方がいらっしゃるところに行くにも緊張しがちなんですが、僕は王様とか、そうした高い身分の人々に会う機会が無かったので……すごく不思議な感じです」

「慣れかも知れんね」

ジギが言った。

「我々〝プロイセン魔術界御三家〟は、その呼び名の通り、プロイセンの魔術界を統率する役割上、王家や他の貴族との関わりは多いが、魔術師であっても、御三家以外の者たちが王侯貴族と知り合う機会はそうそう無いだろうね」

 その時、王妃の侍従の声が広間に響いた。

「ルイーゼ王妃陛下の御成り〜!」

三人はそれを聞くと、素早く背筋を伸ばして正面に向き直る。ウーリが小声で素早く幸太郎に囁く。

「良いか、予行の通りにやるぞ……!」

 リッツを先駆けに、侍従たちやルイーゼ王妃が広間へぞろぞろと入って来た。ルイーゼ王妃は以前と同様、空席の玉座の隣に設えられた椅子に腰掛ける。そのすぐ横に、やたらと装飾の施された礼装を着用したリッツが控えた。

 次の瞬間、「本日は!」とジギが声を張った。いつも穏やかな声色のジギが大声を出したので、隣に立っていた幸太郎は驚いた様子で一瞬ジギを見た。構わずジギは大きな声で口上を述べ続ける。

「ルイーゼ王妃にお立ち合い頂き、恐悦至極に存じます! つきましては、早速ではございますが、これよりファウストの〝杖の儀式〟を挙行致します……!」

その声を合図に、リッツが一歩前に進み出た。魔法使いの村で幸太郎を〝ファウスト〟と名付けた時のように、芝居がかった様子で大袈裟に言い放つ。

「ファウストよ、杖を持ってここへ来よ!」

リッツの台詞を受けて、幸太郎は杖を捧げ持ちつつも、緊張したまま小走りになって、リッツとルイーゼ王妃の元へ向かった。王妃を挟むようにリッツと向かい合って立ち、捧げ持った杖をリッツに受け渡す。

 幸太郎から受け取った杖を、リッツはしげしげと眺めた。見たところ、杖の大部分を菩提樹リンデンバウム、上部から握りにかけての部分をニワトコで作ってあるようだった。特にニワトコで作った箇所は、一方の長辺を除いた上下が逆さまの二等辺三角形を描いている。それを見てリッツは北叟笑ほくそえみながら、小さく笑い声を漏らした。

 それを見て、幸太郎は怪訝そうに眉をひそめる。彼は、また自分で自分に都合の悪いことが起きたのかと、邪推せざるを得なかった。

 リッツは幸太郎に構わず儀式を続行した。彼はウーリに向かって命ずる。

「ウーリ、ファウストの髪を切り取れ」

「はッ」

ウーリはそう答えると、靴音を高く鳴らして幸太郎の背後に素早く回った。彼の後ろの首元の髪をひと束、鋏で以って無造作に切り取る。幸太郎は首元で鋏の閉じる音が鳴った時、ビクッと震えた。

 それを確認すると、リッツは自分の杖を掲げる。集中して、厳かな様子で口を開く。

「――〝今、春が我らを迎えようとしているNun will der Lenz uns grüßen,〟」

 それは、ウーリに負けず劣らずの美しいテノールの歌声であった。幸太郎は彼の喉からこんなに美しい声が出るのかと感心した。

 リッツは春を迎える歌詞にそぐわない、冷徹な声で歌い続ける。

 「――〝昼から生温い風が吹くVon Mittag Wintersleid

 全ての草原からAus allen Wiesen sprießen

 赤や青の花々がDie Blumen rot und blau.

 緑の菩提樹の下でHei, unter grünen Linden,

 白いドレスが輝くDa leuchten weiße Kleid!

 祝祭の装いをしてUnd lädt im Festtagskleide

 全ての冬の悲しみに終止符を!Ein End all Wintersleid!〟」

 リッツが歌い終えると、それに応えるかのように広間の天井近くから静かに雪が降って来た。降り注ぐ雪は大きく、水鳥の羽毛や羽根が舞っているようにも見える。その様子を幸太郎の他、ルイーゼ王妃の周囲に控える侍従たちは見上げている。幸太郎は雪の舞降る様子に、故郷の雪国の冬景色を重ねた。

 それを眺めていると、雪のようなものに紛れるようにして、何やらヒトが舞い降りて来ようとしているのが見えた。

 雪のように白い巻き上げられた髪、白い肌、白いギリシャ風のドレス。それらの上から白いベールを被っている。繊細な体格と顔立ちから、女性であるようだ。

 彼女が着地するのと同時に、リッツをはじめとする魔術師たち、ルイーゼ王妃までもが、彼女に向かってひざまずいた。それを見た幸太郎や侍従たちが慌ててそれに倣う。

 白い女性は周囲を見渡すと、微笑みながら、威厳を持った、しかし優しげな母親のような声で呼びかける。

「……我が子たちよ、元気そうで何よりだ」

女性はかたわらでひざまずいている王妃に向き直った。

「我が家の乙嫁よ、また再び会えて本当に嬉しいぞ」

「私も嬉しゅうございます、ベルタ様」

ルイーゼ王妃はひざまずいたまま、彼女――ベルタ様と言うようだ――の言葉に答える。

「しかし、このような危機的な時分ではなく、出来れば我が家が更なる繁栄を遂げている時に相見あいまみえたかったものです」

「ルイーゼよ、どの家にも栄枯盛衰があるのは、人の世の常、致し方無いことだ」

ベルタ様がルイーゼ王妃を諭すように言う。

「しかし、いついかなる時――例え我が家が存亡の危機にあろうとも、我が血の絶えぬ限り、私は子供たちの側にいよう」

この言葉に、ルイーゼ王妃は更に頭を下げた。

「ああ、頼もしきお言葉! ありがとう存じます。我らも我が家・我が国に脅威をもたらす者らと戦って参ります故、これからもどうぞお力添えをお願い致します……」

 「さてベルタ様!」

と、突然リッツが王妃とベルタ様の会話に割って入った。ベルタ様はリッツの乱入に目を丸くして彼を見る。

「今回お呼びしたのは他でもありません。今ほど王妃陛下が仰ったように、我らはプロイセンに脅威をもたらす者との戦いの真最中です。そこで、今ここにいる者を新たな同胞として迎えるべく、純粋で高貴な貴方にお許しを頂戴し、この者の術と杖に貴方のお力をお貸し願いたいのです!」

ベルタ様はリッツの言葉に顔をしかめて「フン」と鼻を鳴らして見せた。

 彼女はゆっくりとした動きでルイーゼ王妃から離れ、こちらもまたひざまずいたままの幸太郎を見下ろす。

「――見慣れない血筋の子だ」

ベルタ様は訝しげな表情で、幸太郎を観察するべく屈んで彼の顔を覗き込んだ。紅潮する幸太郎の顔を確かめると、ベルタ様は合点が行った様子で呟く。

「――ああ、東洋の者なのだね。あのルイーゼの従者――カズモリと言ったか――あの者と同じような空気を感じる」

けれどもベルタ様は言葉を途中で切った。首を傾げ、顎に手を当てて考えながら、再び言葉を口にする。

「しかし全体的にこの場に居る子らと空気感がかなり異なる。――悪魔が憑いておることではないよ? 強いて言えば……異なる時代の香りがするのだ。それも、今まで嗅いだことの無いものだ」

ベルタ様は幸太郎の瞳を真っ直ぐ見据えて問いかける。

「――お前、いつから来た?」

 幸太郎は狼狽えた。王城で儀式があるというだけでも酷く緊張させられているのに、急にこんなにも美しいものと面と向かわされ、出自を問われているのだ。

 彼は目を泳がせながら、「あ、あの……」と言い淀み、やっと「未来からです」という言葉を絞り出しかけた。しかしベルタ様は唐突に

「まあ、そんなことはどうでも良いのだ」

と幸太郎の言葉をさえぎり、視線を逸らした。幸太郎は、やっと心臓の高鳴りを落ち着けられるとばかりに息を吐く。しかし、ベルタ様の言葉は切られてはいなかった。

「――私との誓いを守ってくれるのならな」

その言葉に幸太郎は思わず「えっ?」と小さく声を漏らした。

 ベルタ様が自分に目配せしたのを見るや、リッツはニヤリと笑った。

「ウーリ!」

リッツに呼ばれたのを聞いて、ウーリはリッツと幸太郎が向き合って立っている間の床に、先程切り取った幸太郎の髪の一束を撒いた。それを見た幸太郎は、目を丸くして小さく飛び退く。リッツはそんな幸太郎の行動にも構わず、幸太郎の杖を自分の目の前、撒かれた幸太郎の髪の上に掲げた。彼は正面の幸太郎に向かって視線を送り、うなって見せたりする。幸太郎は、それが儀式の次の段階に進むための合図だと気付くと、慌ててリッツが掲げている自分の杖を握った。

 幸太郎たちの側では、ベルタ様が舞う雪のようなものを激しく巻き上げながら、神々しく浮かび上がっていた。彼女は更なる高さから見下ろしながら、幸太郎に言い放つ。

「我が力を得たくば、我の下僕として次の五つの宣誓を無条件で行え!」

幸太郎は舞う雪や風に翻弄されながら、必死に杖を掴んで返事をする。

「はい!」

「ひとつ、」とベルタ様が言う。

「――私の命令には絶対に服従せよ。

 ひとつ、私の意に添わない力の使い方をするな。

 ひとつ、その永き命で必ずやプロイセン家の子供たちを導き、守護せよ。

 ひとつ、己が力の弱き時はそこの三家から監督を受け、己が力の強き時は三家の者どもを監督せよ。

 ひとつ、己が運命に逆らうべからず」

 幸太郎はベルタ様の条件に首を傾げた。〝杖の儀式〟にあたって宣誓をするとは聞いていたが、無条件で従うには抽象的で曖昧な表現がある。逆らう気は無いが、守れるか不安を覚えた。

 だが迷っている暇は無かった。ベルタ様が容赦なく「さあ誓え!」と言い放つのを聞いて、幸太郎は急いで復唱する。

「はい、貴方の御命令には絶対に従います!

 貴方の意に添えない魔法は使いません!

 必ずやプロイセン家の方々を導き、お守りします!

 自分の実力が無いうちは三人の家の方々からご指導を受け、実力を付けた暁には役に立てるようにします!

 また、自分の運命には決して逆らいません!

 僕はこの五つをここに誓います!」

「よくぞ申した!」

幸太郎の言葉を聞いて、ベルタ様は感情を昂らせた。

 彼女はリッツが掲げている幸太郎の杖の握りに手を添えると、美しいソプラノで歌い始めた。

 それはドイツ語でも近隣諸国の言語でも、ましてや日本語でもない。しかし清く気高く美しく祝福を与えるための歌声に、幸太郎は聴き惚れた。正直言ってベルタ様が雪と風とを巻き上げている中であったので、歌声に集中する余裕は無い。けれどもこの歌声を、幸太郎は聴き逃したくはなかった。

 ベルタ様が歌っているそこへ、リッツの歌声が加わる。すると、床に撒かれた幸太郎の髪が輝く粒子となって、幸太郎の杖へと集まって行った。歌の終わりに向かうにつれ、幸太郎の杖はその色を変え、輝きを収める。

 ふたりは歌い終えると、幸太郎の杖から手を離した。

「これよりお前は我が下僕にして我が子のひとりだ」

ベルタ様が幸太郎に告げる。

もし誓いを破ればWenn du deinen Eid brichstお前はもはや私の子ではないbist du nicht mehr mein Sohn永遠に勘当しAuf ewig verstoßen永遠に見捨てauf ewig verlassen全ての絆を永遠に粉砕するsollen alle Bande der Natur auf ewig zerbrochen werden

幸太郎はベルタ様とリッツから杖を受け取ると、感動に打ち震えながら答えた。

「はい……誓いを守って正しく力を使うように努めます……杖に力を込めて頂き、ありがとうございました……!」

 幸太郎は出来上がった自分の杖をシャンデリアの灯りにかざす。先程まで材木の色そのままだった杖が、幸太郎の髪の色を吸ったのか、ベルタ様に魔力を込められたせいか、漆黒に染まって輝いて見える。幸太郎はうっとりして溜息を吐いた。

 一方で、ベルタ様は再びルイーゼ王妃に向き直っていた。

「さて、儀式は終わった」

ベルタ様が名残り惜しそうにルイーゼ王妃に言う。

「私は去るが、忘れるな乙嫁よ。私はこの城と一体となり、常に子供たちと共に在る。さらばだ、ルイーゼ。また逢おう」

ルイーゼ王妃は、立ち上がってベルタ様にお辞儀をした。ベルタ様は王妃の侍従たちや魔術師・魔法使いらがそれに従うのを見渡すと、まるで雪が風に散り、春の暖かさに溶けるように、姿を掻き消した。

 それを見届けた瞬間、リッツたち魔法使い・魔術師たち三人が、揃って項垂れ、深い溜息を吐いた。幸太郎の緊張を解そうとしていた彼らも、儀式に対する緊張感からは逃れられなかったのである。

 リッツがルイーゼ王妃に向かって跪く。

「ありがとうございました、王妃陛下。陛下のお力添えにより、此度の〝杖の儀式〟が無事完了しました……」

ルイーゼ王妃がリッツに微笑んで返す。

「いや、こちらこそ、久しぶりにベルタ様の御顔を拝見出来た」

「それは何よりです」

リッツは王妃に笑い返すと、突っ立ったままの幸太郎のほうを向いて言った。

「これで正式にお前は俺たちの同胞、魔術師の仲間だ」

幸太郎は笑顔で答える。

「はい! これからは僕も魔法使いとして――」

「ハァ?」

リッツが幸太郎の言葉を遮って言い放つ。

「何を勘違いしているんだ? 魔法使いは俺のように国王から宣下を受けなければなれない、特別な称号だぞ? 魔術師成り立てのお前のようなぺーぺーが頂けるものじゃない」

幸太郎は目を丸くした。正面にいるリッツとルイーゼ王妃の顔を見比べる。

「えっ?! そうなんですか?」

ルイーゼ王妃は顔を顰めながら答えた。

「そうだ。わたくしとしては、すぐにでも魔法使いとしてやりたいところだが、こればかりは国王陛下のお許しが無ければ出来ぬ。リッツの家のように代々魔法使いの家柄なら許可は容易いが、貴殿の場合はそれなりの業績が必要となるやも……」

 幸太郎は思わず口をぽかんと開けた。自身の魔法――だと思っていた、魔術――の腕は未だ発展途上だから、魔法使いとして認められないのはまだ理解が出来た。しかし魔術師と魔法使いの差が身分だけであるのは、どうにも納得出来ない。しかも、自分が魔法使いとして認められるためには、魔術師として、それなりの業績を作らなければならないのだ。それまでの道程を考え、幸太郎は顔から血の気が引くのを感じた。

 リッツはそんな幸太郎を見て、満面の笑みを浮かべながら彼の肩をポンポン叩く。

「そういう理由だから、これからも俺の下で励んでくれや。頑張〜れ!」

幸太郎は溜息を吐いた。こんなに性格の悪い師匠の元で働くのは癪だが、先程ベルタ様に「自分の力の弱いうちは、御三家の者から監督を受けること」を誓ったばかりであった。

 けれども幸太郎は、あの純粋で美しい守護者の歌声を思い出して気が楽になるのを感じた。杖を通して美しい守護者と繋がっているうちは、またあの素晴らしい歌声を聴く機会があるかも知れない、あの歌声のために頑張ろうと彼は思った。

  • この作品は書き下ろしです。
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